シュシュサロンゲストデー 2021.6.25 第1回 内山 知子さん

内山知子さん工房にて

内山知子さんは、西荻窪で女性向けのオーダーメイド靴屋 靴房TOSUN(とざん)を経営する靴職人さんです。また、子どもの足の健全な成長のために欠かせない知識や靴を提供するSOCCA(そっか!)設立メンバーでもあります。靴職人として靴を制作販売するかたわら、子どもの足と靴の相談会を開き、子どもの足の健康について教えてくださる身近なアドバイザーです。
今夏出産予定の内山さん。内山さんのこれまでと今、そしてこれからについてお話をしていただきました。


ーもともと靴に興味があったのでしょうか?
いえ、高校時代、男子バスケットボール部のマネージャーをやっていて、選手にテーピングなどのケアをしていたので、理学療法士のお仕事に興味を持っていました。一方で昔から、実家一帯が外環道の計画地に入っているんですが、両親をはじめ、住民の反対運動を身近に見ていて、「開発」と「環境保護」いう分野に問題意識がありました。結局大学は工学部の建築系の学科を選択して、その後大学院まで進み都市計画を専攻し、都市計画コンサルタントの仕事に就きました。単純に靴は趣味として好きなアイテムではありましたが、仕事とは結び付いていませんでした。

ー就職後、順風満帆なキャリアでしたか?
都市計画のコンサルタントの仕事をしていましたが、大きな開発に携わっていたこともあって、基本路線は決まっていてそこから外れない範囲で仕事をすることに、少しモヤモヤとすることもありました。職場はいい人たちばかりでしたが、長時間労働が当たり前で、少しずつ心身にストレスが蓄積する状況でした。仕事の内容や働き方がこれでいいのかな…、という思いを抱く中で、疲労で突発性難聴を起こしてしまい、しばらくお休みして治療をしていたのですが、その時間が自分の将来を再び考える機会となりました。

ーその頃起きた東日本大震災が人生を考え直すきっかけになったようですね?
一度に大勢の方が亡くなって、津波の映像も衝撃的で、東京の揺れ方も未体験のものでした。私もいつ死ぬかわからない、どんな目に遭うのかわからない、ということを実感したときに、このままモヤモヤを抱えたままで長時間労働をしていて、今人生が終わったらすごく後悔するのではないのかなって思ってしまったんです。仕事にやりがいが無いわけではなかったけれど…。じゃあ何しようかな、と考えました。

内山知子さんインタビューープライベートはどんな感じでしたか?
靴の学校の趣味のコースに通い始めたんです。簿記の勉強もしました。いずれ独立して仕事をしてもいいように。でもそのときはまだ靴の仕事か、そうではない仕事か…具体的にはまだ無くて、ただ、会社員にはなりたくない、と考えていました(笑)
結婚しましたが、5年経っても子どもはできなくて、子どもを授かるのは難しいかなと思っていました。そのことはあまり考えないで、やりたいことをやろうと、靴の学校も趣味のコースから、本科のコースへ移って、本格的に靴作りを学び始めました。

ー靴の学校はどんなところでしたか?
趣味の段階では、木型を用意してくれて、靴を形にするところだけ習う学校もある中で、私の学校は、靴の型を作るところから体験させてくれました。木型は、木を削ったりパテを足したりして靴の形を作りますが、私が習ったのは、ロウで型を作る方法です。温めたロウで形を整えて、余分なところを削っていって…、と作りますがロウで作る方法は、何度でも溶かしてまた作り直せるのでゴミが出なくてエコなんです。本科のコースに入ってからは、実際に人の足を採寸して、ぴったりと合う靴を作るまで、何回も作り直しました。初めはひとりのために3~4足作る経験を10人くらい重ねて、最終的には本物のお客さんを担当しました。会社を辞めて2~3年毎日通って卒業しました。

ーそしてオーダー婦人靴のTOSUN(とざん)開業ですか?
そうですね、靴工房を開けるのは、免許とか資格があるわけではなくて、自分のやる気次第です。趣味ではなく、仕事として工房を開くことを、家族にはなかなか信じてもらえなかったですね。特に両親には、大学院まで出してもらったのに…。靴職人になることは想像できなかったのではないかと思います。でも、主人と家を建てて工房を作ろうという話になり、西荻窪に工房付きの家を建てました。主人が後押ししてくれたことは大きかったです。

内山知子さん工房にてー(写真を見て)専門の道具を揃えていてすごい工房ですよね。そして、第一子の誕生につながるのですね。
水槽が大きくなると魚が増える、みたいな感じで(笑)家族が増えたんですよ。多分、規則正しい生活に身体が元気になったことや、やりたいことをやって充実してきたところで、心身の準備ができたのかな…と思います。
子どもが生まれてから児童館に行く機会ができたんですが、そこでは普段いろいろと企画をしていて、たまたま職員さんに「児童館でやってほしい企画って何かありますか?」と聞かれて、子どもの靴の話が聞きたいな、と思ったんです。それで、靴の学校で知り合った理学療法士さんに相談したら、行きますよ!と二つ返事で引き受けてくださって。私自身も理学療法士さんの話す子どもの靴の話を聞いたのが初めてで内容に衝撃を受けました。「こんな大事な話どうしてどこにも書いていないんだろう!…誰も教えてくれないなら自分で学んで伝えよう、この活動なら狭い工房でもできるかも!」と思って。初めは無料相談会という形で手探りで始めることになりました。

ー靴を作る内山さんでも衝撃を受けた理学療法士さんの話とはどんな内容だったんですか?
子どもの靴選びは大人と視点が違うんです。まず子ども靴は大人の靴より選べる選択肢が少ないし、さらに選んだ靴をどのように使うべきなのか、もっと知らなければならなかったんです。それを知らないで履き続けているから大人になってトラブルに気づく。そんな人の足を見て、私は靴を作っていたのだなぁと思ったんです。外反母趾が痛いとか股関節が痛いとか、いつも足からのトラブルを抱えるお客さんを目の前にしていたので、もしかして子どものときからの習慣のせいなのでは?と思ったんです。だったら、子どもの頃からの足や靴のケアが必要だなと思いました。子どもでも、それぞれに個性があって、運よく何事もない子もいれば、トラブルを抱えやすい傾向の子もいるんです。小学生くらいから腰痛や肩こり、運動が苦手などのひとつの原因になっている場合があるんです。早いうちに気付いてあげられるというのは大事だなと思います。

ー何も知らないと、可愛さや値段で選んでしまうけれど、体に合うかどうかは別ですよね。そんなふうに子どもの足や靴にも興味がわいて、『SOCCA(そっか!)』の立ち上げにつながるんですね。
そうです。話をしてくれた理学療法士さんとスポーツトレーナーさんと3人で子ども靴を作ってみないか、という話を企業からもらったことがきっかけで、取引のためには会社を立ち上げた方がよいと判断して、(足と靴の相談ができる)SOCCAという会社を立ち上げました。

内山知子さんインタビュー時のシュシュサロンの様子

ーでもこのあと、ご病気をされるんですよね…?
そうなんです…。子どもが3歳の頃に、溶連菌に感染して熱が下がらず入院したり、その後に百日咳にかかったり、顔の左半分が痺れたり、小さな病気をいろいろとしました。そうすると薬をたくさん服用するので、顔の痺れはそのせいかと診断を受けていたんですが、左だけ痺れるっておかしいなと思って、半信半疑で脳ドックを受けたんです。そうしたらレベル4の大きさの脳腫瘍が見つかりまして…。腫瘍の場所が悪くて脳幹が半分潰れてるということがわかり、即手術となりました。悪性なら目や耳の神経に関わるところまで取り除かなければならなくて、そうすると靴を作ることができなくなるかもしれなかったのですが、幸い良性だったので、神経に関わる部分は残してもらいました。手術は絶対に成功する約束もないので、子供のことを考えて泣きそうになったこともありました。でもいろいろな方の励ましや支えがあり、また自分のこととなると結構冷静になれる自分がいて、できることはやった、とにかく身を任せよう、と思えたんです。医学の進歩はすごくて、手術は成功して、頭を開いたのに2週間で退院できたんです。ラッキーな方でした。
頭の中は見えないので、まさかと思っても検査をする大切さもすごく身に染みました。当時のオーダー靴のお客様には、治療で作業を中断させてもらうために事情をお話しましたが、それがきっかけで一人のお客さんが検査を受けてくれて。そうしたら、お客さんにも小さな異常が見つかったんです。あぁ、そういうこともあるんだな、私の体験を人に伝えることって大事だな、と思ったんです。
ーそんな大変な病気も次に活かすなんて…前向きですね。これも震災のときに思った”いつ死ぬかわからない”と同じ経験ですよね…。日々の活動にエネルギーをくれるのかもしれませんね。

内山知子さん『ハチドリのひとしずく』本の紹介ーここで、内山さんがバイブルにしている本を持ってきてくださったので、ご紹介いただきたいです。
『ハチドリのひとしずく』(光文社:辻信一/監修)という20年くらい前に出版された、南米アンデス地方の先住民に伝わっている話です。森で火事が起きて、動物たちは我先にと逃げていく。一羽のハチドリが一滴ずつ水を運ぶ姿を見て、動物たちが笑うと、ハチドリは「私は、私にできることをしているだけ」と答える。という結末のない短い話です。これは地球温暖化や戦争などの大きな問題に対する無力感に対する提言みたいな話として出版され、ちょうど環境問題に関心があった大学生のときにこれを手にしました。本当に、微力であっても誰かがやらないと変わらないことってあるよな、と思ってこの本を手元に置いていたんです。会社員時代は、政治の影響が大きい業界だったので、働く意味を考えて、そういう大きな波に飲み込まれちゃいけないという気持ちを持つものの、なかなか太刀打ちできなかったんですが、今やっている靴や足の相談の仕事は、小さな仕事ではあるけれど私なりに本の話に近づけているかなと思っています。みんなが当たり前に履いている靴のことなので、あまり関心を持ってもらえないけれど、私一人でも声をあげてやっていくことが大事だなと。シュシュでも、靴と足の相談会を開く機会をもらっています。これからも、私にできることは何かなと考えながらやっていきたいと思っています。

ー今後の活動も期待されますが、今度はどのような展開がありますか?
産休・育休を少しだけもらいますが、10月くらいから再開しようかなと考えています。まずは相談会から、オーダー靴はもう少し環境が落ち着いてから再開することになりそうです。今日は子どもの足と靴の話を聞きたかった人もいらっしゃるかと思います。もし良ければ子どもの足と靴について私がまとめたパンフレットを持参したので、必要な方は参考にしてください。専門用語ではなくてやさしい言葉で網羅的にまとめています。

ー内山さんは、とても大変な時期を乗り越えられた方で、悩むことがあっても前向きな姿にパワーをいただきました。内山さんは中高生の頃もいろいろと悩んだこともあったかと思うのですが、最後に、若いその世代の方々にメッセージがあれば、お願いします。
私の場合、中高生のときに考えていたことから、がらっと変わった人生を歩んでいます。自分の進路をよく考えることは大事だと思いますが、そのときしかできない”経験”もいずれ武器になると思います。今思うと、デパ地下の寿司屋とか、惣菜屋、無印良品など、接客が好きで楽しかったバイトの経験も活きています。そのときの仕事の経験があったから、会社を辞めて次何やろう?というときに、選択肢もいろいろと並べられました。一つ一つの経験が自分自身の発見にもつながるし、後からきっと何かの役に立つはずです。

内山知子さんシュシュサロンにいらした皆さんとー新しいことに一歩踏み出すって勇気がいりますよね。中高生の頃は親から反対されることにすごく不安に思ったり。内山さんご自身も就職後に違う道を選んだときに親御さんの声も気になったんですものね。
そうですね。親は、私が会社を辞めて靴職人になることに、初めはいい顔をしてくれませんでした。どんな世界なのかまったく想像もつかない方向転換でしたから、仕方ないと思います。その代わり自分で強い意志を持って行動しなくてはなりませんでした。
私の場合は会社にいた保健師さんや、靴づくりの師匠が親代わりのように相談できたことがよかったです。親以外に、周りの人に相談を持ちかける勇気も必要ですね。既に自立はしていましたから、靴職人としての本気を見せて、やっていけることを証明して、親にはいつか賛成してもらえればいい、と思ってやってきました。親が今何を思っているのか聞いたことはありませんが、だんだんと応援してくれているように感じます(笑)。
今思うと、高校から大学には行かずに靴職人になる道を進んだ方が良かったのか?というと決してそうではなくて、大学に行って会社に就職したからこそ経験できたこともあるし、開業資金も貯められたし、やってみて無駄だったということは基本的にはありません。自信がないとやり切れないことや逃げたくなることもありますが、成功経験・失敗経験どちらもあって、自分が進みたい方向への道標となると思います。だいぶ私も打たれ強くなりました!

ー内山さんの人生のこれまでとこれからをたくさん聞かせていただきました。ありがとうございました!これからのご活躍も期待しております。