シュシュサロンゲストデー 2021.11.19 第7回 万田 祐三さん

万田 祐三さん
7回目のシュシュサロンは、四面道のすぐそばにある自転車屋『万田サイクル』の店主、万田祐三さんにお越しいただきました。”安全に・楽しく自転車に乗る”をモットーに、3代前から続く地域の自転車屋さんを営まれる一方、小学校の自転車講習や杉並区交通公園の自転車の安全点検も担われています。地元荻窪で歩んでこられた人生と、地元に根付く万田サイクルの仕事について、じっくりお話を伺います。


四面道の城西病院の隣に構える万田サイクル

ー万田さんのお店『万田サイクル』の入り口には”since1925″と記されていますね。もう100年近く続くお店で、万田さんはその3代目だとお聞きしておりますが、万田サイクルの歴史について簡単に教えていただけますか?
歴史というと大袈裟な感じですが、もともと私の祖父は青山で鍛冶屋をやっていました。日本陸軍の大将で明治天皇にも仕えた乃木将軍(乃木希典)の馬蹄を作っていたらしく、一般市民でしたが選挙権を持っていた、と聞いています。

ー当時は誰でも選挙権を持てる時代ではなかったですものね。立派な方だったんですね。
祖父は鍛冶屋を辞めて、新宿の淀橋(現在の新宿区西新宿のあたり)で自転車屋を開きました。その後、荻窪に来て、新たに自転車屋を開いたのが1925年(昭和3年)なんです。当時は、杉並公会堂の向かいの天沼に店を出していましたが、通りの北側に店構えていると商品が日に焼けるから、南側に移ったほうがいい、という中華料理の春木屋さんのアドバイスで、上荻側に店を移しました。そこで親父の16歳年上の兄(伯父)が、2代目として自転車屋『万田自転車店』を開いたんです。一方、親父は自転車ではなくて自動車屋をやりたいということで、現在私の店がある四面道の土地を買って、自動車工場をはじめました。従業員を雇い、バイクの販売や修理もしていたので、当時、うちは荻窪で自転車屋とオートバイ屋と自動車屋と3軒やっていたんです。

ー代々ご家族で商売を広げていったんですね。万田さんは姉と妹に挟まれたご長男だとお聞きしております。家業を継がれる運命だったのでしょうね。では万田さんが子ども時代は、荻窪はどんな町並みだったのでしょうか?当時はどんな遊びをしていましたか?
私が小学4年生のときに、荻窪駅の北口にタウンセブンが建ちました。タウンセブンの場所はもともとブルーシートで囲われた市場街だったんです。子どもの目から見るとなんだか怪しい感じの。そこにタウンセブンができたので、嬉しかったですね。今とは時代が違うので…、タウンセブンが遊び場で、いろんな悪さなんかも…ふふふふ(笑)

ー悪さとは…?(笑)
え…、ゲームセンターに行ったり…。

ーゲームセンターって、昔は今と違って、小学生が入れる感じではなかったですよね?怖くありませんでしたか?
そうです、今みたいな明るい感じではなくて薄暗くてね。友達2、3人と靴の中にお金をしのばせて行きましたよ。ゲームセンターで上級生に「飛んでみろ」と言われて、ぴょんとジャンプして「チャリン」と音がするとお金を取られてしまうんで。そんな時代ですね(笑)。私は教会通りの突き当たりの、今はなき若杉小学校に通っていて、友達もみんな駅の近くに住んでいたこともあって、そういう遊びもしていました。

ータウンセブンのオープンの頃のお話をもう少しお聞かせいただけますか。
タウンセブンは1981年にオープンして、戦後荻窪駅周辺で商売をしていた店が入りました。当時、うちはタウンセブンの理事長さんとお付き合いがあって、タウンセブンでおこなわれる歳末くじの企画に参加していました。一等賞の商品が自転車で、それをうちが200台納めていたんです。短期間でそれだけの台数を納めるのはなかなか大変なので、私も自転車を組むのを手伝って、それが初めて自転車業に関わった経験となりました。オープンから3年くらいその企画に関わりましたが、一軒の自転車屋が大々的に関わり続けることに反対意見が出て、それ以降うちが関わることはなくなりました。

ーまだ小学生のときですよね。手伝いとは言え、大変だったのではないでしょうか。”自転車を組む”というのは具体的にどういう作業ですか?
まず、自転車はメーカーから販売店へ納品されるときに、普通は箱に入っていて、後輪はすでに組んでいる状態になっています。それを”七分組”と言いますが、7割はすでにメーカーのほうで組んでいるという意味です。販売店は、残りの前輪とハンドルとブレーキを組み立てて、全体を矯正をして、乗れる状態に完成させます。そういう組み立て作業を、タウンセブンの歳末くじの納車のときに初めて手伝ったんです。

ー幼少期から家業を経験されてきたんですね。その後も手伝いを続けたのでしょうか?中学生のころはいかがでしたか?
いえ、中学生になってからはたまに友達の自転車を直すくらいで、家業を手伝うことはほとんどありませんでした。私は井荻中学校へ通いましたが、これがうちから結構遠いんです。当時も今と同じで自転車通学は禁止だったので、1年生のときは真面目に歩いて学校に通っていましたが、だんだんと面倒になって…2年生になると自転車で行って近隣に停めて、それがばれて先生に怒られていましたね。で、3年生になる頃にはそれすらも面倒くさくて学校に駐輪していました(笑)

ーとうとう先生からお許しをもらった、ということですか?
いやいや、そうではなくて、外に生徒が駐輪していたら近隣へ迷惑になるから、そうなるくらいなら学校に停めろ、ということだったんでしょうね。先生から怒られても自転車通学している同級生が何人かいました。

ーなかなかの度胸がおありだったんですね(笑)。中学生時代に夢中になったことなどはありましたか?
そうですね、中学生のときにバンドを始めました。当時、姉が高校生になって軽音楽部に入ったんです。そのバンド仲間がうちに楽器を持ち込んで練習していたので、それを見て興味を持ちました。それで私も友達4、5人誘って、バンドを組んで、私はドラムを叩くことになりました。文化祭では体育館で演奏できることになったので、誰でも楽しめるように、当時流行っていたハウンド・ドッグや爆風スランプの曲を演奏して盛り上がった思い出があります。それで中学卒業の時には初めて西荻のライブハウスで卒業ライブをやりましたね。

ーそれまで音楽を習っていなくても、中学生がバンド活動って始められるものですか?
そうですね、みんな特に楽器を習うわけでもなく、独学でやっていました。バンドスコア(バンド演奏用の楽譜)を買ってきて、桃井にあった練習スタジオに集まって練習しましたね。あと、昔は杉並公会堂の隣には新星堂(CDやレコード、楽器などの販売会社)の本社もありましたが、その向かい(現在のフレッシュネスバーガーの場所)は新星堂の店舗で、そこのスタジオでよく練習しました。ヘビメタ(ヘビーメタル)とかハードロックとか、激しめの音楽をやっていました。

ー今日はそのヘビーメタルを演奏していたころのお写真を持ってきていただきましたので、みなさん、前に出てきて、万田さんのかっこいいお姿を御覧ください!
これはもう19歳くらいのときの写真ですが、家にドラムセットを置いていたので、家で撮影した写真です。

ー長髪を金髪にしている万田さんのお写真をみんなで見るー
(会場)きゃー!これが万田さん!?かっこいい!

ちょうどX JAPANがデビューしたころで、デビュー当時の彼らのような髪型や化粧をしてバンド活動をする人がいた時代です。ドラムはボーカルやギターの後ろで、一番目立たない場所ので、ちょっとでも目立ちたくて(笑)。ライブも、メジャーデビュー前のX JAPANがよく演奏していた神楽坂のEXPLOSION(エクスプロージョン)というライブハウスで演奏していました。ちょっとプロになりたい気持ちもありましたが、練習はあまり好きではありませんでした。この髪型は家族からは不評で、親戚の葬式にお前は来ないでくれ、と言われたり、祖母のところへお見舞いに行くと、「あれ?あなたのところは娘3人だっけ?」なんて皮肉を言われたこともありましたね。

(会場爆笑)

ーバンド活動をしていた10代後半のころはどのように過ごしていましたか?
昼は親の自動車工場で働いて、夜は定時制の高校に通っていました。家業を継がなければ、という思いやプレッシャーはあまりなくて、そのときそのときを楽しんで好きなことをしていた気がします。16歳でバイク、18歳で車の免許を取りましたね。あと何年で免許が取れるのか、車が運転できるのかと、当時は待ち遠しかったものです。うちは車の工場だったので、仲間がうちに集まってきて、夜こっそり、車を格好よく改造したこともあります。私は当時アメ車に乗りたかったのですが、家業の手伝いだけでは給料が少なすぎたので、トラックの運転手をしてお金を貯めました。20歳くらいのときでしたね。

ー昭和の若者のエピソード、というワイルドさを感じます!親御さんはそんな万田さんを許していらっしゃいましたか?アメリカの車をそんな若さで買おうと考えるなんてすごいですね。
まぁ、親は見て見ぬ振りをしていたところもあるかと思います。たぶん、時代的にもそういうことはあんまり珍しくはなくて、良くも悪くも今とは違う感覚が子ども達にも大人達にもありました。それで、私は働いてお金を貯めてやっと買ったアメ車を、3週間で壊しました!

ー(会場)えーーー!?
ちょっと空を飛びまして…。

ーそ、それは…どういうことですか?
事故です。縁石にぶつかって、5メートルくらい飛んじゃいました。仲間が2人乗っていましたが、両足を縫ったり、前歯を折ったり。私は顎の骨を折って、おおみそかも正月も、自分の成人式の日も入院していました。友達にひどい怪我を負わせてしまいましたが、当時はごめんなさい、で済みましたね。それもまた時代…だったかもしれません。憧れて買ったアメ車はそれで廃車になりました。

ーそれは大変な事故だったんですね。今ご無事で本当に良かったです。ところで、アメ車を買うために、家業から離れてトラックの運転手をされたのですね。どういう仕事でしたか?
ある会社の専属ドライバーとして友人と一緒に雇ってもらって、その会社の商品を納品しに全国に行きました。行きも帰りも商品を積んで走る長距離ドライバーとは違って、納品しに行くだけで、帰りは空の荷台だったので、行った先々で友人とお城巡りをしたり、ご当地のうまいものを食べたりしてドライブ旅行のように楽しんで帰ってきました。その当時はバブルが崩壊したばかりで、まだ会社ものほほんとしていたんですよね。あまり細かいことを言われず仕事ができた時代でした。でもその後、徐々に景気が悪くなってドライバーの仕事は長くは続けられませんでした。

万田さんのお話をみんなで聞くーその後は家業に戻られたのでしょうか?
いえ、トラックドライバーの後は、仲間に誘われてビルの上の看板の掃除や電球を交換する仕事をしました。そのために高所作業車の資格を取りました。操縦が楽しかったですね。高所の仕事が無いときは、産業廃棄物の処理や、家の解体など、重機を使う仕事を色々とやりました。パワーショベルに乗ったり、ダンプカーに乗ったり。産業廃棄物処理では一般的なダンプカーとは違って、運転席の後ろに取り付けてあるコンテナを外して現場に置けるタイプの特殊車両を操作しましたが、現場によっては狭い場所に置いてくれと頼まれて、コンテナを所定の位置に置くのに操作技術が必要でした。難しかったですが”働く車”での仕事は楽しかったですよ。

ー車好きの子が憧れる仕事ですね。その仕事は長くやっていたんですか?
いえ、25歳くらいのときに、自転車業を営んでいた伯父が高齢になってきて大変だということで、家業に呼ばれて戻りました。

ー好きだった重機を使う仕事を離れて、家業に戻ることに抵抗はありませんでしたか?
そうですね…でも仕事をするために現場へ通わなくても済みますし、もともといつかは戻らなければと思っていたので、戻るのが嫌だとは思いませんでした。ただ、親父は自動車屋だったので、最初はそちらを手伝う方向だったのが、だんだんと自動車業の景気が悪くなってきたので、これからは自転車屋のほうがいいぞ、ということで、自転車業を継いだんです。自転車を組み立てる経験は子どものころからやっていたし、自転車の仕事は好きなので修理はすんなりできましたが、最初のうちはネジ回しの力加減がわからなくて、締めすぎることもありました。それで、きちんと自転車の勉強をしなければと思い、「自転車安全整備士」の資格を取るために、ブリヂストンサイクルの育成プログラムに参加しました。

ー学校のようなところですか?
そうです。埼玉県の上尾にあるブリヂストンサイクルの本社で、自転車業の後継者を育てる学校のようなところがあるんですが、28歳のときに学費を払って、4ヶ月間近所のアパートに住んで通って、一気に技術や知識を習得しました。学校では自転車をばらしたり組んだりする実習はもちろん、自転車の安全の知識や販売のノウハウをみっちり学びました。アパートでは自炊をしてはいけないと言われていて、みんな最低限の荷物しか持ってこない中、私はテレビやら炊飯器やらを勝手に持ち込んで、つまみを作ってはみんなを呼んで、お酒を飲んで楽しく過ごした思い出もあります。その後、自転車安全整備士の資格を受けて、合格しました。

ー自転車安全整備士の資格はどのような試験だったんですか?
国家資格ではありませんが、学科と実技と面接がある試験で、自転車整備や正しく乗るための安全指導の知識と技術が問われます。実技では自転車をばらしてから指定時間内に組み立てる技術を見る課題などが出ます。私は4ヶ月間何度もブリヂストンサイクルで組み立てたので、実技は周りの人よりもだいぶ早くできました。そういう技術は普通は販売店で働きながらだんだんと得ていくものなので、整備技術や知識を集中して高める機会はなかなか無いんですよ。だから、そういう人達とは技術的に差がありました。

万田サイクルでお客様の対応をする万田さん

店舗取材中、来店したお客様の自転車の調子を見る万田さん

ー万田サイクルさんは、プロ中のプロのお店だ、ということですね。修理やメンテナンスにいらっしゃるお客様も多いのではないでしょうか。
そうですね、販売した自転車は、責任を持って修理をしています。ただ自分が組んでいない自転車の修理は、激安自転車の登場で、いろいろと技術をもってしても難しい場合が増えてきました。たとえば自転車の音ですが、この自転車の音としては問題ない範囲だ、と私が判断しても、お客様はすごく気にされたり、どんな自転車でも音がならないようにできると思い込まれたりして修理を求めてくる、なんていうこともあります。失礼ですが、自転車というものは、部品の値段と品質が比例しています。今は7,980円なんていう値段をつけている激安の新品自転車も売っていますし、誰が組んだかわからないインターネットで購入できる自転車もあります。一般の方は自転車に使われている部品のことまでわからないので、問題があれば直せると思っていらっしゃいますが、どこの部品メーカーのかも分からない粗悪品が組み合わさっている自転車は、単純に調整や一部の部品交換では直りません。そこをお伝えするのは難しいですね。たとえば変速機は、私が乗っている自転車は、部品ひとつで50,000円くらいします。でも、激安自転車に使われているものは900円程度です。同じ部品でもピンからキリまで種類があって、当然品質に差があります。決して50,000円の部品を使わなければいけないよ、と言いたいのではなくて、様々なレベルの部品があって、そのひとつひとつの品質が自転車全体の品質につながるので、まずそこをご理解いただきたいと思うことがあります。

ーなるほど。自転車に限らずですが、できるだけ安いものを買い求めたり、手軽に注文できるインターネットでの購入をしてしまいますが、自転車の場合、よくわからない部品や技術でできている可能性があるんですね。それは安全性にも問題がありそうですね。
そうですね、私もインターネットで何でも購入してしまいますが、商売柄、自転車や乗り物はインターネットで買うことはあまりお勧めしません。バイクや車はすべて国家資格の自動車整備士が整備をしているので、安全性が保証されていますが、自転車は資格がなくても販売できるので、素人が海外製を安く買ってきて組み立ててインターネットで販売する、なんていうこともあって、それが安全な乗り物といえるのか、ということは乗る人も考えなければなりません。スーパーではどんな生産者が作ったかわかる野菜や肉が売っていますよね。こういうところでこういう人が作っているから安心、と思って生鮮食品を買うような視点を、自転車にも持ってもらえたらいいですね。

ー購入するときに、どこで”安全”が買えるのか、考えるべきですね。ところで安全といえば、杉並区は小学校で自転車の安全教室がありますよね。万田さんはそちらにも出向いているとお聞きしておりますが。
はい。年に1度、小学3年生から4年生が学校に自転車を持っていって自転車の安全を学ぶ授業が開かれています。校庭で警察官が自転車の乗り方を子ども達に指導している間、我々自転車屋が子ども達の自転車の点検をします。その場で修理はしませんが、どこかガタガタするところはないかなど、問題点を見つけてチェックを入れていきます。

ー子どもの自転車は、体が大きくなると乗り換えが必要になりますが、乗り換えのタイミングや、お下がりを使うことについて教えていただけますか?
始めは3、4歳くらいで補助輪がついた14インチくらいの自転車に乗るかと思います。そして、小学校に上がるころに補助輪を外して、1、2年生くらいで20-22インチくらいに乗り換えます。高学年くらいになると身長もだいぶ伸びるので、大人サイズの自転車に乗り換える、という流れが一般的でしょうか。大人になるまでに3台くらい乗り換えることになるかと思います。子どもの自転車はもともとそんなに傷まないし、大人と比較して走行距離も時間も少ないので、タイヤが擦り切れることもまずありません。3台も買い換えるのは大変ですので、友達や兄弟のお古をもらって乗り継いでもいいと思います。

万田サイクルオリジナルウエア

万田サイクルオリジナルウエア

万田サイクルオリジナルウエア

背中には万田さんのお顔のデザインが!

ーありがとうございます。自転車の安全性についていろいろとお聞きしましたが、今度は自転車に乗る楽しさについても教えてください。
自転車はダイエットにいいという話を、聞いたことがありますか?私はブリヂストンの講習のときに聞いてから、ダイエットのために自転車に乗り始めました。最初はギアが3段しかない普通のシティサイクルで、多摩湖へよく行きました。荻窪から多摩湖まで、片道だいたい20kmくらいで、湖の外周が10kmほどなので、往復すると50kmほどあります。仕事が終わってからそのコースで走りました。最初は自転車専用のピチピチのウエアを着るのがなんだか恥ずかしくて、普通の洋服で走っていましたが、自転車で長距離走れば結構汗をかくんです。そうすると、ズボンの膝のあたりが引っかかって、なんども引っ張り上げなければならなかったり、足が円滑に回らなくなるので、だんだん煩わしくなって…まずはズボンをピチピチの専用ウエアに履き替えることにしました。上半身も当然汗をかいてシャツが乾かなかったり、寒くなったりするので、やっぱり専用のウエアが良いのだな、と気づいて上下とも専用ウエアを着るようになりました。そのうち、シティサイクルからスポーツ用の自転車に乗り替えて、ヘルメットを被って、専用のシューズも揃えて…と、結局最初の頃、自分が着るには恥ずかしい、と思った姿で走っています(笑)。専用のシューズは、ペダルにくっつくような仕組みになっているので、片方でペダルを押しているときにもう片方はペダルを引っ張ることができるんです。そうすると、効率よく漕ぐことができて、より早く、より軽く、もう乗り心地は全く別の体感になります。

ー本格的な装備ですね。自転車の競技大会にも参加されるのでしょうか?
私は競技自体には参加しませんが、うちのお客様がチームで競技に出るときに、サポートすることもあります。自転車の競技はいろいろとあるんですが、スピードを競うレースだと素人の場合は衝突して怪我したり、大切にしている自転車を壊したりと危険なので、山に登る自転車レースが比較的安全に楽しめるかと思います。「ヒルクライム」と言って、山のふもとからスタートして、上った先がゴールでタイムを競いますが、上るコースなので、スピードが出なくて、転んでも大したことになりません。最近はコロナ禍でレース自体が中止になっていますが、富士山の5合目まで登るレースのサポートをしたこともありますよ。

万田さんと仲間たち

荻窪警察のパレードで仲間とお揃いのウエアで並ぶ写真をご披露

ー山を登るレースはきつそうですが、景色が楽しめそうですね。レースに参加する方々と一緒に万田さんも自転車を楽しむこともあるのでしょうか?
そうですね。レースには参加せずとも、自転車好きの仲間と仕事が終わった夜や週末に走りに行くことはあります。仲間と一緒に荻窪警察のパレードに自転車で参加したり、井草八幡宮や荻窪八幡神社のお祭りでお神輿を担いだり、地元での活動もしていますよ。一昨年と昨年はコロナの影響でお祭り自体がなくなりましたが、今年はやるかもしれません。

ーお揃いのウエアは万田サイクルのシンボルマークで、万田さんのお顔のデザインが描かれていて、素敵ですね!万田サイクルさんのように、ずっと地元でご商売をされている方は、お祭りのお神輿の担ぎ手などにも抜擢されますよね。
そうですね。ここら辺だと、天沼八幡神社のお祭をやって、その後白山神社、荻窪八幡神社、そして最後に井草八幡宮の順でお祭りをやっています。その中でも私は荻窪八幡神社のお祭りに参加しています。私はもう51歳ですが、お祭りに参加する者としては若い方なんです。お祭りには私より若い世代が神輿担ぎになかなか参加しなくなってきたことが課題になっています。担ぎ手の確保のために、地元以外の「お神輿の会」の方々に来ていただくこともあります。そういう神輿のプロの方々に担ぎ方や盛り上げ方、声の出し方を先導していただくのですが、それだとなんのための地元神社の祭なのか、わからなくなってしまいます。若い方々にもっと参加していただきたいですね。

万田サイクルのマンション

万田サイクルの上はマンション。柵が自転車になっている。

ー荻窪の時代の変化を感じていらっしゃるかと思いますが、お店はもうすぐ100周年を迎えますね。現在の建物は新しくて、自転車のオブジェがビルに付いていたり、ベランダの柵が自転車の形になっていて、遊び心がありますよね。万田さんが考えたデザインなのでしょうか?
2005年に親父が亡くなって、万田自動車を閉めて、跡地に万田サイクルの建物を設計士さんと話し合って建てました。もともとはタイルを並べてモザイクで自転車の絵を描いてもらおうというアイデアがありましたが、最終的に、設計士さんが自転車をかたどったガードレールを探してきてくれて、それを住居部分のベランダに設置することにしました。

ーここ2年は新型コロナウィルスが流行して、社会のあり方や雰囲気など、大きく変化しました。自転車業への影響はいかがでしょうか。
新型コロナが流行し始めた頃、公共交通機関に乗りたくない方々がたくさんいらして、自転車がよく売れました。飲食業の方々はとても苦労されている中、自転車屋で正直少しホッとしたところでしたが、海外の都市がロックダウンして、部品工場が閉鎖してしまったことが、後々大きく影響してきました。工場は一度閉鎖してしまうと、再開してもなかなか元のように100%稼働できないらしく、今も部品の生産が遅れていて、メーカーはどこも新車がほとんど生産できていません。うちが主力で扱っているスポーツメーカーの、2022年9月発売のモデルが、既に予約で完売している状況なんです(インタビュー当時は2021年11月)。お客様が注文したいと来店されても、今すぐは新車をお渡しできません、と頭を下げる状況です。売るものが無いので、商売が成り立ちません。

ーお店に伺ったときは所狭しと自転車がありましたが…。
あれでもだいぶ少ない方なんですよ。早くこの状況が改善してほしいです。

万田サイクルの店内

万田サイクル店内には所狭しと自転車が。これでも少ない方だとか。

ー本当に、1日でも早くコロナ流行の前のように戻ることを願っています。最後に、若い世代へ、万田さんからメッセージをいただけたら嬉しいです。
今の中高生はとても真面目ですよね。きちんとしていると思います。それに比べて、我々の世代はやんちゃなことをすることが珍しくなくて、みんなよく大人に怒られていました。そんな我々昭和生まれのおじさんおばさんたちが、「昔はよかったな」と懐かしむのはどうしてかわかりますか?私達が君たちのころは、スマートフォンやインターネットは無くて、今と比べたら不便なこともいろいろとありました。でも、なにごともその不便さの中で実際に経験したり、一生懸命人と関わったりして遊んだものです。小さな画面の中で繰り広げられる”いいね!”や”フォロワー数”を大事にするのもいいけれど、もっとリアルな経験を積極的に楽しんで、自分の目の前にいる友達を大事にしてほしい思います。そういう経験は大人になっても鮮明に残って、良い思い出も悪い思い出もしっかりと人生に刻まれます。年を取ってから”若いときにもっとこんな体験をしておけばよかった”、と後悔しないように生きていってほしいな、と思います。
それと…これだけは。\イヤホンをしながらや、傘をさしながら自転車には乗らないように!危険なだけでなく、道交法違反ですよ!(笑)/

 
 
 

【会場からの質問と万田サイクルさんからの大事なアドバイス】

☆子乗せ自転車を使用している方へ

ー最近、子乗せ自転車に子どもを乗せたまま停めて、パパやママが離れて買い物をしたり用事を済ませているところを見かけます。昔の自転車に比べたら自転車の安定感が良くなったとは思いますが、そういう状況をどうお思いでしょうか?
一言で言えば”とんでもない”です。ただ、今の自転車は前後の子どもの席と大人で3人乗れるようになって、スタンドがすごくしっかりしているんです。車輪も小さくて低重心になっているので、たしかにちょっとしたことでは倒れない作りにはなっています。でも、私の友人で、子どもを乗せたままちょっと離れたすきに子どもが動いて自転車が倒れて、子どもが前歯を折った事故を起こした人がいます。子どもの動きって大人が想像しない動きをしますよね、急に立ち上がったり、暴れたり。お子さんを乗せたまま自転車から離れることは絶対にしないでください。
あと、運転していると気付かないかもしれませんが、子乗せ自転車は、後ろの子どもの席がかなり左右に揺れます。ぶつかりそうだと怖い思いをしている歩行者もいらっしゃるので、人の間を縫うように走る際は、後ろがぶつかるかもしれないと思って、スピードを落として気をつけて運転してください。

 
 

☆電動自転車の使用年齢について

ー電動自転車は重量があったり、急にスピードが出たりしますが、何歳くらいまで使用してもよいと思われますか?
自転車業界でもそれは難しい問題とされています。年配になればなるほど運転技術や状況対応能力が衰えますし、新しい機械としての操作になかなか慣れなくて、思うように反応できなくなります。電動自転車に切り替えを考える場合は、できるだけ早いうちに切り替えて、操作そのものや乗り心地に慣れたほうが良いと思います。私の母も78歳になりますが、電動自転車に乗っています。だいぶ前から乗っていて操作も感覚も慣れているので、6-7km先の墓まで乗って行っちゃいます。高齢者でも高低差を気にせず遠くまで行けるのは、電動自転車ならではですよね。電動自転車は日々の買い物や移動のためになくてはならない人もいますから、何歳までで辞めたほうがいい、とは簡単には決められません。ご家族とよく話し合って、ふらつきや注意が行き届かなくなってきたら、使用を辞めることを考えるべきなのかもしれません。

 
 

☆自転車の修理を自転車屋へ持ち込む場合

ー子どもの頃に、乗っていた自転車のチェーンが突然切れて、それが勢いよく当たって怪我をしたことがあります。今、インターネットで買った自転車に乗っていますが、怪我をした経験があるので、メンテナンスをしなければという意識があります。どのくらいの頻度でどういうメンテナンスをしてもらうべきでしょうか?
先述したように、修理やメンテナンスは、組んで販売した自転車でない場合、店としては対応するのが難しい場合があります。チェーンの場合は、修理のプロが見ても、いつごろ切れるかなかなか判断できません。摩耗具合は調べられますが、摩耗だけが切れる原因になるわけではなく、つなぎ方が悪くても切れる可能性がありますので、切れるか切れないかの判断は難しいのです。でも、たとえば、後輪のタイヤ交換を依頼された場合、チェーンやブレーキを外してから調整して組み立てるので、外した部品のメンテナンスや組み直しも依頼を受ければできます。そういうふうに、他の箇所を修理する成り行きで整備して安全性を高める、ということはよくあります。”安全点検”と言っても、全部のネジを締め直すとか、そういうことで安全になると言えるわけではないんです。チェーンはグッと踏み込んだときに切れると、スカッと肩から落ちてしまうので、危険なんですよね。判断が難しいですが、どうしても心配な場合は、なんでもないうちに部品交換するのが安心かもしれません。


万田サイクル外観万田サイクル
〒167-0043 東京都杉並区上荻2-41-10 Google map
営業時間 10:00-19:00
水曜定休



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