シュシュサロンゲストデー 2021.10.29 第6回 麻田 ゆきさん

麻田ゆきさんシュシュサロン第6回のゲストはジャズシンガーでゴスペル講師の麻田ゆきさんです。麻田さんはゴスペルコーラスグループ「亀渕友香 & The Voices of Japan (VOJA)」でTVやイベントで活躍し、ヤマハ音楽教室のゴスペル講師や、フジテレビ系列で放送の『全国ハモネプリーグ』の審査員を務められ、長年に渡り、歌を通じて精力的に活動されています。また、麻田さん主宰のゴスペル合唱団での歌の指導、杉並区のひこばえ幼稚園のママさんサークルから始まった、『ゴスペルファミリー杉並』の講師を20年以上続けていらっしゃいます。コロナ禍で歌を楽しむ機会が減った近年ではありますが、これまでの麻田さんのチャレンジングな人生をお聞きします。


みなさーん、こんにちはー!歌はお好きですかー!?
今日は小さなお子さん連れの方も来てくださり、ありがとうごさいます。みなさんも子育て中に感じているかと思いますが、幼いうちは歌や音楽が好き、という反応をする子が多いんですよね。歌うということは人間の本能なので、子どもも親も歌をどんどん楽しまれたらいいな、って私は思っているんです。でも学校の音楽の授業で歌って、先生からダメ出しされたり、無理やり練習をさせられたり、音楽の世界は甘くない、なんて言われたりして、音楽と楽しくない向き合い方をさせられたせいで、心が傷ついて、歌うことがトラウマになってしまう人が結構いるんですよね。私は、子どもが音楽を心から楽しめるようになるためには、まずは親御さんが楽しんで、それを見ているお子さんも楽しくなればいいなと思って、『ゴスペルファミリー杉並』というゴスペル合唱団を20年前に立ち上げました。今ここにいるスタッフさんで、私のゴスペルレッスンに来てくださっている方がいらっしゃいますが、彼女はお腹に赤ちゃんがいるときに参加して、出産後お子さんを連れてレッスンに来ていただいています。あとでそのお話も聞かせてもらえるかな…。そして、今日はみなさんと、のちほどここで一緒にゴスペルを歌ってみたいと思います。どうぞよろしくお願いします!

麻田ゆきさんーありがとうございます。あとで歌うのが楽しみですね。ゴスペルに参加する親だけでなく、そのお子さんまで音楽を楽しめるように、と考えていらっしゃるんですね。では、早速インタビューに入りますが、麻田さんご自身は音楽を楽しんだ幼少期を過ごされてきたのでしょうか?
私は、大阪府豊中市で育ちました。今とは違って、すごく人見知りな性格で、いつも母の後ろに隠れているような子どもだったんですよ。物心ついた頃には母は働いていたので、私は昭和30年代当時では珍しく保育園に通っていて、おばあちゃん子でした。幼い頃は体が弱くて、喘息で苦しんで小学校は休みがちでしたが、ピアノや書道など、お稽古ごとをいくつかしていました。その中で、今の私の原点となっているのが、小学生のときに入った「豊中市少年合奏団」という市の合奏団で、リコーダーのアンサンブルを習っていたことなんです。当時、合奏団は大阪音楽大学の西岡信雄先生が指導をしてくださって、毎週日曜日に4時間ほど練習していました。西岡先生はのちに大阪音大の学長になられた素晴らしい先生です。私は、そこで本格的に音楽の楽しさを教えていただきました。

ーリコーダーの合奏団ですか?
そうです。私達は小中学校の音楽の時間、ソプラノリコーダーやアルトリコーダーを学習しますよね。実はリコーダーはその他にも、クライネソプラニーノ、ソプラニーノ、テナー、バス、コントラバスと、あわせて7種類もあるんです。リコーダーは学校で子どもが吹くもの、というイメージがあるかと思いますが、ルネッサンス時代に作られた舞踏用の曲や、その後のバッハやビバルディなどが活躍したバロック音楽の時代に作られた曲がたくさんあり、クラシック音楽として演奏されています。
当時、豊中市少年合奏団では、小学5年生から中学2年生までの50人ほどが一緒にリコーダーアンサンブルを習っていました。年齢の異なる子どもたち同士、上級生が下級生の面倒をみて仲良く過ごし、夏になると合宿もあって、私にとっては楽しい思い出がいっぱいです。このとき私はみんなで音楽を演奏する楽しさを経験しました。

ー多くの人と演奏を楽しむというのは、大人数で歌うゴスペルにもつながりますね。その後は音楽とはどのように関わっていかれたのでしょうか?
高校生になっても私はリコーダーを続けていました。中学2年生と、高校1、2年生のとき、リコーダーのコンクールに出場して最優秀賞を受賞するまでになったんです。そのときのメンバーには音大を目指す子もいましたが、音大はお金がかかるし、我が家の状況からその道はない、と私は割り切っていました。他に、中学2年生までピアノも習っていましたが、こちらはリコーダーほど熱心に取り組んではいませんでした。もうひとつの私の音楽の原点は、小学校卒業前くらいから、夜ふかししてラジオの深夜放送を聞くようになったことなんです。午前0時のカウントダウンまで、毎晩ラジオから流れてくる洋楽にハマりました。当時はビートルズの解散後で、ジョン・レノンやポール・マッカートニーのソロ曲が流れていたり、クイーンやカーペンターズがよく流れていました。私はお小遣いを貯めて、カーペンターズの『Yesterday once more』 のレコードを買いました。歌いたくて、一生懸命聞いて、英語の歌詞にカタカナでルビをふってみたんですが、カタカナでは表せない発音があることに気づいたんですよね。そうやって子どもながらに一生懸命聞いて、一生懸命歌う練習をしたことが、今の仕事のきっかけになっているのかな、と思います。

麻田さんのゴスペルクラスレッスン

麻田さんのゴスペルクラスレッスン ちょうどハロウィンで仮装しながら練習!

ー確かに、日本語にはない英語の発音はありますし、そもそも英語の歌は、言葉と言葉のつながりなど、カタカナではなかなか表記しづらそうです。
そうなんですよ。私、6歳年上の姉がいるんですが、私が中学生になったときに大学に入学して、姉は「これからは英語の時代だ!」って言ったんです。それで、洋楽に目覚めた私はすぐに英会話教室に通い始めました。ところが、教室に通う道は、金髪で白い服を着た外国人の男性2人が、通りすがりの人に話しかけている場所だったんです。多分、キリスト教の布教活動だったと思いますが、その頃の私は人見知りでしたし、当時の地域では外国人に出会うことが珍しかったので、声をかけられたらどうしようと不安で、外国人に対して”怖い”というイメージが染み付いてしまっていました。教室の先生は日本人の先生だったので安心して授業を受けていたのですが、中学1年生のクリスマスに、教室でパーティーを開くことになって、外国人の先生も来ることになりました。そこで、必ず外国人の先生に話しかけなさい、という宿題を出されてしまいました。まだ全然英語が話せない状態でしたし、外国人への恐怖感がありましたが、とにかく宿題なので、なんとか身振り手振りを交えて、テニスの話をしました。そうしたら、外国人の先生にそれがちゃんと通じたんです。嬉しくなって、それがきっかけで、英語を話す楽しさを知って、アメリカに行ってみたい!高校生になったら留学したい!と思うようになりました。

ー高校では英語に力を入れている学校に進学されたと事前にお聞きしておりますが、留学の夢も叶えたのでしょうか?
はい、地元の公立高校に進学しましたが、3年生のときに、NPOの組織を通じてアメリカ留学を叶えて、1年間シカゴで過ごしました。シカゴはアメリカの北部の五大湖に面していて、冬はものすごく寒いんです。そんな場所でホストファミリーに出会い、ホームステイさせてもらいました。当時、私と一緒にアメリカ留学をした日本の学生が400人ほどいましたが、それぞれが、さまざまな人種の、さまざまな家庭に行くことになりました。滞在先によっては勉強よりも畑仕事を手伝わされたり、ベビーシッターの役目を担わされたりして、ホームシックになったりアメリカが嫌いになったりしてしまう留学生もいました。でも私は幸運にも、本当にすばらしいホストファミリーに恵まれました。もうすでにお子さんが成人して独立している家庭だったこともあって、私のことをもうひとりの娘のように本当に愛情深く、大事にしてくださいました。休みの日にはキャンプをしたり、シカゴからフロリダまで南北戦争の跡地に車で連れて行ってくれたり、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントン、とアメリカの歴史のある場所にたくさん連れて行ってくれたりしました。両親ともに敬虔なクリスチャンで、日曜日には教会に一緒に連れて行かれました。私は牧師様のお説教がわからなくてただ座っていただけですが…。そんな敬虔なクリスチャンの母から言われた言葉をみなさんにもご紹介します。「世の中のあらゆるものは、使い続けたらいつかなくなってしまう。例えば、石油でもダイヤモンドでも。でも、いくら使っても絶対になくならないものがある。それは愛なんだよ。」と教えてもらいました。それは今でも私の中の大事な言葉になっています。

ー本当に良い経験をさせてもらえたんですね。留学先の学校生活はいかがでしたか?
私は中学生のときはバレーボール部、高校生のときは英語劇の部活に入っていました。それで、留学先の学校の授業が本格的に始まる前に、まずは経験があるバレーボールの部活に参加してみればいい、と言われて、早速学校に連れて行ってもらったんです。スポーツは言葉が通じなくてもできるからいいんですよね。ボールを受けるときに “I got it.”とか”You got it.”とかそういうやりとりからネイティブの英語を覚えました。そのうち授業が始まりましたが、最初の頃はちんぷんかんぷんで、宿題を提出してください、と言われても何のことだかわからなくて、とにかく宿題は何かをきちんと聞くことだけはしようと思いました。学校では、いろいろある選択教科の中で、コーラスの授業を取ったのが一番印象に残っています。クリスマスにはあちこちに歌いに行ったり、地元のテレビにも出たんですよ!それとアメリカの歌や踊りの本場のエンターテインメントをあちこちで見たのですが、それが本当にすばらしくて、その後日本に帰国して大学生になってからの生活に大きな影響を与えました。

ゴスペルクラスを指導する麻田さん

ゴスペルクラスを指導する麻田さん

ーアメリカで初めて歌との出会いがあったのですね。留学でのさまざまな経験を糧にした日本の大学生活はいかがでしたか?
内心はアメリカの大学へ進みたい気持ちがありましたが、留学後は帰国して関西の私立大学に入学しました。大学では英米文学を専攻しましたが、4年間勉強よりも音楽に明け暮れていました(笑)。私はそれまでやっていたリコーダーやピアノのクラシック音楽ではなく、大学では軽音楽部に入ってバンド活動を始めたのです。当時、日本ではディスコが流行っていて、Earth, Wind & FireやChaka Khanといった、踊れる洋楽が流行っていました。それで、バンドで学園祭や企業のパーティーなどに呼ばれて演奏することもありました。

ーそのときから麻田さんはボーカル担当だったのでしょうか?
そうです。軽音楽部に入ったら、当時の私にはできなかったコード弾きや、アドリブができるピアノの上手な先輩がたくさんいました。後にシンガーソングライターで大ブレイクして、今はジャズピアニストとしてアメリカで活動している大江千里さんや、テレビ業界で音楽制作をしている方、ニューヨークでジャズのプロベーシストになった方など、そういう方々が学生時代、同じ軽音楽部に所属していて、私の周りにいらしたんです。私はそういうメンバーに囲まれる中で、英語の歌を歌えるから、という理由でボーカルになって、ブラックミュージックやジャズ、ソウルといった音楽を歌いました。

ーまだ学生だったとはいえ、ずいぶん華やかなメンバーに囲まれていたんですね。そんな環境で音楽をしていて、その先はどうされたのですか?
卒業前に、一つ年上のピアノを弾く先輩から「この先一緒に音楽をやらないか」と誘われました。でも、私は親にアメリカ留学もさせてもらって、私立大学にも通わせてもらった恩や義理を感じていたので、どんなに好きなことでも、明日の生活がわからないような仕事は選べない、という思いがありました。それで、きちんと就職活動をして、英語の能力を活かせる外資系の銀行に内定をもらいました。

ー外資系銀行といえば、キラキラとしたキャリアウーマンという感じだったかと思いますが、実際の仕事はいかがでしたか?
入行1年目は、貿易の仕事として、ひたすらタイピングをする毎日でした。英語を話すことはまったく必要とされなくて、延々とタイピングをする、という感じで。ただ、外資系だからなのか、9時に出社して17時にはきっちり終わって、全く残業がなかったので、働きやすい環境ではありました。2年目には秘書になって、やっと英語が使えると思ったんですが、それまで使ったことのない銀行の仕事としての英語なんですよね。お金をやり取りする金融の世界を経験しましたが、私はこの世界には全く興味がないんだ、ということがわかりました!(笑)でも、当時はバブルの頃でお給料がよかったので、プライベートでは、休みを利用してアメリカや北海道へ旅行に行きました。一方仕事ではスーツをそろえないといけなくて、服もよく買っていたので、旅行代と服代でお給料は飛んでいきました。

ー仕事の傍らで音楽活動も続けていたのでしょうか?
はい。私が就職しても、大学の同期のメンバーが卒業できていなくて、まだ在学していたんです。私はやっぱり音楽を続けたかったので、大学にいるメンバーに誘われて、ときどきライブハウスに出たりしていました。ジャズのセッションに行きたいと思い、仕事の合間にジャズボーカルも習い始めました。就職して2年目の秋ごろには、私は銀行で働くよりもやっぱり音楽をやりたい、音楽をやろう!という思いが強くなって、とうとう音楽の道に進む決意をしました。そして、そのためには東京へ行くべきかと思って、音楽業界ですでに活躍していた先輩に相談しに行きました。ずいぶん勝手ですが、なんとかして銀行員のまま東京へ転勤して、安定した収入を得ながら、バックコーラスでも始めて、プロになる足がかりを作ろうという計画を立てました。そのうち冬になり、銀行のクリスマスパーティーが開催されることになりました。当時会社の催し物では”新人芸”なんていう名目で若手が何か出し物をする風潮があって、そのときに、「ゆきさん、バンドでボーカルをやっていたならパーティーで何か歌ってよ」と頼まれたんです。それで、軽音楽部の後輩のジャズバンドに演奏してもらい、何曲か歌いました。そうやって、銀行のパーティーで歌ったことがきっかけで、そのホテルで近々「ハウスシンガーオーディション」という1年間ホテルのラウンジの専属の歌手になれるオーディションがあることを、ホテルの営業の人から教えてもらいました。その人は半分ビジネストーク的に勧めてくれたと思いますが、私は本気でそのオーディションを受けたら、なんと受かってしまったんです。

ー銀行員なのにホテルの専属歌手オーディションに合格してしまったんですね!?
そうなんです。東京へ行って夢を追うか、目の前で掴んだこのチャンスを有効に使うべきか迷いましたが、東京へ行ってすぐに何かができる確約がなかったので、ホテルで歌う道を選びました。それで、3月末で銀行を退職して、4月1日からホテルで歌い始めました。

キーボードを使ってプチレッスンーついに音楽の道へ本格的に入っていかれたんですね。
はい。1年間とはいえ、人前で歌を披露するチャンスは得られました。でも、そのためにはドレスを揃えたり、ボイストレーニングを習ったりしなければならず、それを歌手の収入でまかなっていくのは難しいのが現実でした。それでも1年間、ホテルでの歌手生活をまっとうし、その後、結婚をして、夫と2人で東京へ出ることになりました。実は夫もプロミュージシャンなのですが、ミュージシャンの仕事というのは収入に波があります。私も夢を持って東京に出ましたが、歌手としての収入は限られていたので、家計を支えるために昼間は英会話教室のアルバイトをしたり、銀行員の経歴を活かして派遣社員として働いたりしながら、夜は歌手の仕事をして、昼夜別の顔を持った生活をしていました。そんな生活の中で、私は人生2度目の、素晴らしい先生との出会いをしたんです。

ーどんな先生と出会われたのでしょうか?
亀渕友香先生という、日本のゴスペルシンガーの第一人者で、音楽業界でもとても有名なボイストレーニングの先生です。歌手のMISIAさんや久保田利伸さん、西田ひかるさんやデビュー前のSPEEDなどもレッスンを受けたすごい先生です。そんな先生にボイストレーニングを習いながら、ジャズシンガーとして地方にも歌いに行くようになっていたころに、先生から「ゴスペルをやってみない?」と誘われました。亀渕先生は1993年に「亀渕友香 & The Voices of Japan (VOJA) 」というゴスペルを中心としたコーラスグループを結成されました。私はその初期メンバーとして活動させていただき、コンサートやテレビに出演するだけでなく、NHK紅白歌合戦にも出演する経験をさせていただきました。

ーそこで、ついにゴスペルと出会われるのですね。でも、ゴスペルって、キリスト教の歌ですよね。麻田さんは留学でクリスチャンのご家族と過ごされたり、教会へ行かれたりした経験をお持ちですが、私のようにクリスチャンでもなければそういう経験もない人は、歌っていいのかな?という疑問がわきますが、そんなことはないのでしょうか?
確かにゴスペルは、”God Spell”という言葉が語源で、キリスト教で福音(良い知らせ)という意味があります。神様を讃える音楽として認知されていますが、実はアメリカで長く続いた奴隷制度の中で生まれた音楽です。真面目な人ほど、自分はクリスチャンじゃないのに、ゴスペルなんて歌っていいのだろうか、って思うんですよね。でも、VOJAが前座をつとめたアメリカの本場のゴスペル合唱団の方々は、クリスチャンではない人がゴスペルを歌うことにウェルカムでした。そして、亀渕先生が洗礼をうけた教会の牧師様も、「歌ってくれることで神様からの良い知らせを伝えていることになるから」と歓迎してくださいました。もちろん多様な考え方があるとは思いますが、ゴスペルを歌うことで、キリスト教を知ることができますし、信者の方々の信仰心に思いを馳せる機会にもなります。クリスチャンでなくても、他者への理解を深めるという意味で、ゴスペルを歌うのは、良いことではないでしょうか。

麻田さん指揮のゴスペルコンサート

麻田さん指揮のゴスペルコンサート

ー歌いたいときは、キリスト教を信じているかどうかよりも、理解したり考え方を受け入れたりする気持ちが大切かもしれませんね。
そうですね。信じている神様がいて、愛されたり、つらいときにメッセージや助けをもらうことが心の支えになるのは、すばらしいことと思いますが、世界を見れば、自分が信じている神様だけが唯一で正しい、と思うことが戦争の元凶になったりもしていますから、お互いの宗教や神様を思う気持ちを認め合って、尊重していければいいですよね。ゴスペルの歌詞にも、”イエスについて行きなさい”、という歌詞もありつつ、”違う人を見て、認め合って生きていきなさい”、というメッセージが入っている曲もあります。クリスチャンでなくても、歌って思いを重ねられる歌詞はたくさんあると思います。

ー普段はあまり宗教のことを気にする生活をしていない人でも、親族や親しい人の死に直面したり、つらいことがあったりしたときに、祈ったり、音楽で癒やすこともありますよね。そういうつながりでお聞きしますが、麻田さんは関西ご出身ですが、1995年の阪神・淡路大震災はおつらい経験だったのではないでしょうか。
はい。ホテルの専属歌手を勤め上げたあと、結婚して、東京に出てきたのが震災の前です。いろいろな仕事をしながらの歌手生活を送っていましたが、もう音楽だけやっていきたいと思って、音楽以外の仕事を辞めて、ヤマハ音楽教室のボーカル科の認定講師になりました。その直後に阪神・淡路大震災が起こりました。東京に住んでいたので、被害はありませんでしたが、生まれて初めて経験する大きな震災で、実家や友人も被害を受けたし、亡くなった方もいて、生活が脅かされる災害を初めて目の当たりにしました。その悲惨な様子を見て、こんな状況で音楽なんてやっていられない、とその時に思いました。でも私はもう音楽を生業にしていたので、音楽を辞めてどうやって食べていくのか?とも思いました。そして、考えたんです。私が歌っているゴスペルは、元々はアフリカから何も持たずに、アメリカへ無理やり連れてこられて働かされていた人たちの生きる支えになった歌で、その方々のことを想像したら、こんなつらいときだからこそゴスペルがきっと心の支えになるのでは、とそんなふうに思えました。そしてそのときに生涯ゴスペルを歌い続けよう、と決心したんです。

歌を披露する麻田ゆきさんー強い決心ですね。震災を受けて作った歌があるとお聞きしています。
はい、曲はカーク・フランクリンという、ゴスペル界のカリスマの曲「My life is in your hands」という曲で、その英語の歌詞を、できるだけ忠実に日本語にしました。カーク・フランクリンは、ヒップホップにゴスペルを融合させたことで、若い人たちから人気を集めて、グラミー賞まで取った人です。この曲は美しいバラードなんですが、本人は歌ではなくラップで表現します。彼は幼い頃からニューヨークのスラム街で叔母に育てられて、不遇の環境から不良少年になるんです。でもあるとき、目の前で友達が銃で打たれて亡くなる姿を見たのをきっかけに教会へ行き、音楽の勉強をしてゴスペル界のカリスマにのぼり詰めました。この曲は私自身、人生の指針にしている歌です。人生や生活、命すべてが神様の手の中にあるのだから、大変なことが起こっても恐れないで、神様と一緒だから大丈夫、というような歌詞なんですね。それって、苦しいことが起きても、恐れる必要はない、全て神様の計画の中に今があって、神様はあなたを置き去りにはしないよ、というメッセージなんですよ。阪神・淡路大震災の経験を経て、この歌を日本語で歌いたくて、2年くらいかかってやっと書き上げました。そんな「My life is in your hands」を聞いてください。

(麻田さんが歌う)

「My life is in your hands」
曲詞:カーク・フランクリン 日本語訳詞:麻田ゆき

恐れないで 心配しないで
朝が来ない夜はないから
神様が君の涙ぬぐってくださる
だからつらいときには空を見上げて
そう きっとできるさ
乗り越えられるよ
たとえ何が起ころうとも
あなたとならば

試練が君を打ちのめす時
愛する人も友だちもいない
でも覚えていて
いつも神様が友達のように励ましてくれる
そう きっとできるさ
乗り越えられるよ
たとえ何が起ころうとも
あなたとならば

立ち上がれるさ
歩いて行けるよ
たとえ何が起ころうとも
明日に向かって

立ち上がれるさ
歩いて行けるよ
たとえ何が起ころうとも
明日に向かって
あなたとならば
My life is in your hands.

ーありがとうございました!(会場から拍手)
<もっかい(もう1回)!(子どもがいきなりアンコールをして、会場は笑いに包まれました)>
この曲は、キリスト教の神様を歌っていますが、”神様”というのはあなたの思う神様でいいんです。阪神・淡路大震災でも東日本大震災でも、今回の新型コロナウィルスの流行でも、家族や親しい人と離れ離れになったり、つらい経験をした人はたくさんいるかと思います。でも、この歌を教えてくださった亀渕先生は『つらいときに、この人となら助け合って生きていける、という人がひとりでもいれば、その人のことを思って歌えばいい』っておっしゃってくださいました。

麻田さんのレッスンに通うマミさんー素敵なバラードを歌ってくださり、ありがとうございます。メッセージがたくさん詰まっている歌でしたね。お子さんもアンコールをするほど、心に響く歌でした!さて、そんな麻田さんの歌のレッスンを受けていらっしゃるマミさん(シュシュのスタッフ)、お子さんを連れて麻田先生のゴスペルレッスンに参加されていますが、習う側からレッスンについてお聞かせいただけますか?

(マミさん)
私は(麻田)ゆき先生に教わって6年経ちますが、いつも先生はパワフルに指導してくださって、元気をもらっているんです。私はクリスチャンではないのですが、それでも、歌からメッセージもらって、先生から元気をもらっていることを実感します。私は3人子どもがいますが3人目の妊娠中はつわりが酷くて大変な思いをしました。今は3人の育児の生活に疲れ果てるときもあります。でも、ゆき先生のレッスンで歌っている間は、そういう辛さや疲れを忘れられて、気持ちが助けられるんです。子連れでレッスンに行くと、レッスンを一緒に受けている皆さんから、子どもがお菓子をもらったり、遊んでもらったり、抱っこしてもらったり、温かく見守っていただけているのもありがたいです。子どもはレッスンのときや私が家で練習しているときに聞いた英語の歌詞を、私より先に覚えて歌い出すこともあって、子どもの耳の良さにも驚かされます。

ハロウィンのときのゴスペルクラスのレッスンの様子(麻田さん)
そうなんですよね。私自身、英語は歌から覚えたからよくわかります。文法を習うよりも、小さい頃から英語の歌やネイティブの発音を聞いているだけで、親よりも英語ができるようになりますよね。特に小さい頃は、英語の歌を親子で一緒に楽しめば、音感とリズム感と英語が楽しくいっぺんに身につくからよいですね。

ーマミさん、ありがとうございます。では、今度は麻田さんと皆さんで、一緒にゴスペルを歌ってみませんか?譜面をお配りしますね。
(会場の皆さんに譜面が渡る)
みんなで楽しく歌ってみましょう!『This Little Light Of Mind』という歌です。これも有名なゴスペルの歌で、”私という小さな光を輝かせよう”というメッセージの歌です。「Little」は「リトル」と発音しないでくださいね、「リロ」という感じです。「Light Of」も「ライト-オブ」ではなくて「ライロブ」って感じで歌ってみてください。

(みんなで歌ってみる)


『This Little Light Of Mind』
曲詞:不明
This little light of mine, I’m gonna let it shine.
Let it shine, let it shine, let it shine.

Everywhere I go, I’m gonna let it shine.
Let it shine, let it shine, let it shine.

On down the road, I’m gonna let it shine.
Let it shine, let it shine, let it shine.

会場のみんなでゴスペルを体験

会場のみんなでゴスペルを体験!

ーありがとうございました!(会場拍手!)
みんなで歌って、ゴスペルのパワーを少し体感することができたのではないでしょうか。こうやって、マスク越しでも歌うことができるようになりましたが、新型コロナウィルスが流行り始めた頃は集まることすらできませんでしたものね。

そうですね。このコロナ禍で、私はしばらく仕事を失いました。口からの飛沫や人が集まることが感染リスクとされていますので、集まって歌うこと自体ができなくて、今後、歌の仕事そのものができなくなるのではないかと、本当に落ち込みました。実はそれだけではなくて、コロナが流行し始めた昨年(2020年)の3月末に、夫が脳出血で倒れて、夫も働けなくなったんです。入退院を繰り返して、幸いにも現在は元気になりましたが、当時は我が家が立ち行かなくなるのではと、本当に恐ろしくなりました。その上、私のクワイア(ゴスペル合唱団)のピアノを担当してくれて、裏方としても活動をずっと支えてくれていた大学時代の後輩がいたんですが、彼も脳出血で倒れて、昨年52歳の若さで他界してしまいました。生活と音楽のパートナーがそれぞれ同じ病気に倒れて、生と死を見せつけられたんです。これがコロナ禍でなければ、みんなで集まることもできたはずでしたが、それも叶わず、何ヶ月もつらい思いをしてきました。でもそうやって何もできずに絶望していた時間に、いろいろなことを考えるようになって、私以上につらい思いをしている人もいるのだということに思いを馳せることができたんです。そんなことを考えていたら、ようやく、やり方を工夫して前を向いてやっていこう、という気持ちに切り替わっていったんです。

親子でゴスペル体験ー最近までつらい日々を過ごされていたのですね。それでも歌う麻田さんからは、やはり力強さを感じずにはいられません。きっと何度つらい経験をされても、神様からのメッセージが込められたゴスペルを歌い続けた人生だからこそのパワーなんでしょうね。そんな麻田さんが、次世代へ伝えたいメッセージはないでしょうか。
そうですね、私が若い皆さんに言えることは、「継続は力なり!」ということです。私がこの仕事をしているのは、私に音楽の才能があったからではなくて、どんなに辛くても音楽を続けていける才能があったからなんです。逆に言えば、才能なんかない、と思っていても、ずっと続けていればそれがいつか得意なこととか信用されることになるんですよ。ただし、嫌なことを人から押し付けられても続きません。私は音楽が好きだったから続けてこられました。若いみなさんも、自分はどんなことなら続けられるだろうかとよく考えてみて、才能があるかないかではなく、続けられそうかどうか、で決めるとよいのかなと思います。10年続けられれば大抵のことは”モノ”になりますから。

ー「継続は力なり」ですね!大人の我々もこれから先、10年何かを続けてみてもよいかもしれないですね。今日はお話を聞けただけでなく、歌をお聞かせいただいたり、ゴスペルのレッスンも体験させていただき、楽しい時間になりました。どうもありがとうございました!



【観客の皆様からの感想や質問】
ー小さい頃に私はピアノでクラシック音楽を習っていましたが、大人になってからポップスやジャズに触れたときに、あぁ、このノリやスイングの感覚は自分の中にはないなぁと感じたんです。体が音楽に対してノリ方を知らないという感じです。それで、自分の子ども達が音楽を習うなら、クラシック音楽よりも、幼い頃の”体が音楽にノル”という自然な感覚を大事にできる音楽のほうがよいのではないかと思ったんです。クラシック音楽を習っているだけではそういう感覚は養われないような気がしています。先生は、クラシック音楽のリコーダーやピアノから入られて、大学生になってから本格的にポップスやジャズなどに移っていかれたとのことですが、小さい頃からポップミュージックに師事するということができるのでしょうか?

そうですね、まずは、お子さんが体を動かすくらい気に入っている音楽をたくさん聞かせてあげればいいと思いますよ。昔は音楽を習うといったら、たいていクラシック音楽でピアノやバイオリンを習うという形でしたよね。でも、年齢が上がるにつれて勉強や部活で忙しくなって、辞めてしまう子も多いようで、最近のピアノ教室などでは、子どもが少しでも楽しく続けられるように、クラシックだけでなく、本人が好きなポップスなども取り入れて教えている教室も増えていると聞きます。それに、体で音楽のノリを掴みたければ、ダンスを習うのもいいですよね。EXILEみたいな、かっこいいグループもいますから、憧れて、彼らのようなダンスを習うこともできます。私も子どもの頃にそんなダンス教室があったら、ダンサーになっていたかも!?って思うくらい、憧れてしまいます。私は50歳過ぎてからダンスを始めましたが、ダンスを習う小さい子どもたちを見ていると、リズム感がいいだけでなく、英語の歌詞でも歌いながら踊っています。お子さんが好きな音楽を楽しみながら習う形がきっと見つかると思いますよ。そしてお母さんはゴスペルをやればいいですね!(笑)


GRACE Gospel Family
麻田ゆきさんがディレクターを務める [GRACE Gospel Family] のFacebookとInstagram

【Facebook】
https://www.facebook.com/groups/1045714565526872/

【Instagram】
https://www.instagram.com/grace_gospel_family/
ライブ配信もやっています



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