シュシュサロンゲストデー 2021.10.8 第5回 大友 育美さん

大友育美さんシュシュサロン第5回目のゲストは、荻窪地域に在住、フードコーディネーターで薬膳料理家の大友育美さんです。大友さんは、フードコーディネーターとして、テレビ・書籍・雑誌・ウェブ・広告などで、長年に渡り幅広く活躍しており、近年は国際中医薬膳師として、家庭で手軽に作れる薬膳レシピの紹介もしています。現在のご活躍に至るまでの半生をお話しいただきます。


ー大友さんは「フードコーディネーター」という仕事を長く続けていらっしゃいますね。「フードコーディネーター」という職種は聞いたことがある人も多いかもしれませんが、具体的にどんな仕事なのか教えてください。
そもそもフードコーディネーターという仕事は幅が広くて、「これをやっているから私はフードコーディネーターです」と言い切れる”何か”は決まっていません。料理を演出したり企画したりと、料理にまつわることをしている人、と言えば良いのか…。私の場合は、テレビの裏方の仕事をしたことで、「フードコーディネーター」という肩書になりました。たとえば、テレビの料理番組で、料理の先生が具材を鍋で煮始めて、そのまま煮えるまで待つと時間がかかってしまうので、「こちらにすでに煮えたものがあります」と鍋を差し替えるのを見たことがあるかと思います。その「煮えたもの」を裏方で作ったり、その日の料理に使う材料や機材を準備する、という仕事をしていました。フードコーディネーターという肩書の人が、前面に出て料理をみせることもありますが、私の場合は、テレビに出演される料理の先生の補助を裏方でしていたのが、フードコーディネーターとしての仕事のスタートでした。

ーなるほど。みなさん、イメージが湧いてきたでしょうか。テレビ番組の裏方で準備をするのは大変な仕事かと思います。大友さんはテレビの他にも、レシピ本を執筆されていたり、シュシュでも料理教室を開いてくださったり、料理にまつわる様々な仕事をされていらっしゃいます。まずはそんな大友さんの幼少期についてお聞きしたいです。ご出身はどちらですか?
私は高知県出身です。

ー高知県と言えば、海や山の幸に恵まれているところですよね。やはり幼少期から料理をされていたんでしょうか?
いえいえ、私は何かに熱中したり一生懸命になったりすることも無い、ふわっとした女の子でした。子どもの頃は親の料理の手伝いをすることもなくて、出された料理をいただくだけでした。祖父や叔父は漁師で、両親は料理がすごく得意というわけではないですが、大きな魚をババっとさばいたり、ザクザクトマトを切って出したり、一般的な家庭料理をおいしく食べさせてくれました。思い起こせば、高知では有名な「りゅうきゅう」という芋科の植物の茎を、塩で揉んだものを入れたちらし寿司をよく作ってくれましたが、それはおいしかったですね。

大友さん対談の様子ー「りゅうきゅう」という食材は初めて聞きました。そういう高知のおいしいものを食べて育ったんですね。高知で過ごされた学生時代はどんなことをされていましたか?
習い事やスポーツはしていませんでした。部活は入っていましたが、「社会科部」という部活で、そこで何をしていたかといえば、学校の資料室でお茶を飲んでのんびり過ごす、という”活動”をしていました(笑)。

ー高知でののんびりとした子ども時代の話からは、現在の、多忙なフードコーディネーターという姿に結びつきませんね。東京に出てこられたのは高校を卒業してからでしょうか?
そうですね、いろいろな状況が重なって、高校卒業後に東京に出てきました。それで、仕事を始めましたが、最初は編集者の補助的なアルバイトをしたり、テーブルコーディネーターの手伝いをちょこちょことやっていたんです。

ーテーブルコーディネーターというのは、フードコーディネーターと名前が似ていますが、どのような仕事なのでしょうか?
テーブルコーディネーターは、広告や雑誌に掲載する料理やその空間を作る仕事で、フードコーディネーターと仕事の内容が近いです。今は「テーブルコーディネーター」という言葉はあまり使われなくなって、「フードスタイリスト」などと呼ばれています。私はきれいなものが好きなので、当時、この仕事の手伝いをするのが大好きでした。たとえば、空間全体は洋風なセッティングなんですが、そこに古伊万里のうつわが置いてあったりして。当時はそういうコーディネートを見たことがなかったので、本当にキラキラしているように見えました。

ー楽しく仕事を始められたんですね。その頃の編集者さんの手伝い、というのは、食に関するライターさんを手伝ったとか、そういうことが今につながっているんですか?
全然違います。そういう仕事はまだしていませんでした。いろいろと補助的な仕事をしながら、声がかかればそちらを手伝う、という感じで自由に、フラフラとやっていました。

ーそうなんですね。では、その20代前後の頃は食への興味はあったんでしょうか?
おいしいものを食べたい、とは思っていました。でも自分で料理本を読んで作るということはほとんどしていませんでした。ただ、料理本を読むのは好きで、作らないけれど、本はよく眺めていました。

ーなるほど。では、まだその頃は食に関する仕事に就いているわけでもなく、すごく興味があったわけでもなかったんですね。
そうですね。でも、20代後半くらいから、自然食やマクロビオティックって面白いな、と思い始めました。体は食べたものでできている、ということを考えたら、少しでも体の役に立つものを食べたほうがいいし、どうせ食べるなら良いものを食べたい、と思い始めたんです。特に体調が悪いわけではありませんでしたが、食べることで体が反応する、食べるもので自分の体を改善する、というそのシステム自体に興味を持ちました。たとえば、摂取するタンパク質をすべて豆類や小麦などの植物性タンパク質に替えて、動物性タンパク質の摂取をやめると、排泄物がいちごの匂いになる、とか(会場爆笑)!いちごの匂いは確認できませんでしたが、そういうのが私にとっては面白かったんです。食べることって、一生懸命になるよりは、実験というか、楽しめればいいな、と思って、いろいろと考えながら食べるようにしていました。でも、何を食べるのかをきちんと管理するというのは、すごく厳しいことなんです。毎日の食事に制約がたくさんあって、厳密に守るなんて私には到底無理で…。

大友さんのお話に賑わう会場ーマクロビオティックの食事をする、となると、肉や魚は控えるとか、そういうのを聞いたことがあります。
そうです、白いお砂糖や乳製品も控えます。制限が厳しいと、考え方やシステムが面白くても私には苦行になってしまうので、マクロビオティックは性格的に無理だなと諦めて挫折しました。でも、自然食の方は、作り手の顔が見えて、その心も一緒にいただく、という考え方で、そういうことなら私にもできるな、と思って、自然食を食べることを始めてみました。今は自然食を扱っている店だけでなく、大手のスーパーでも、野菜やお肉の生産者さんの写真を売り場で見せたり、どこの誰が生産者かわかるように商品に情報を載せたりしていますよね。そういうものを手軽に手に取れるようになったのは、いいことだなぁと思います。

ーあまりストイックにならなくても、考え方の真髄は実践できると思うと、続きますよね。自然食への関心が深まっていったことで、次の仕事につながったのでしょうか?
そうですね、その頃、友人に誘われて、開店したてのカレー屋で仕事を始めたんです。そこは、できるだけ良い食材を使う、というコンセプトの店で、私はおつまみやデザートを作ることになりました。私はそれまで料理を作る仕事なんてやったことがないから、お客様からお代をいただくレベルのものを作れるのだろうか?なんて思いましたが、図々しく始めた仕事はすごく面白くて。作って出したら、意外にもおいしいと評価をいただけて、仕事が本当に楽しかったですね。

ーそれまで料理を習ったり、レストランで調理した経験がないのに、店で出した料理をおいしいと言われたんですね。それは張り切ってしまいますね。
そうなんです。習ってもいないのに。こんなふうに始めても、それを喜んでもらえる世の中の優しさを感じました。そして、その店を3年くらい続けた頃、「グルッペ」という自然食レストランで調理スタッフを探しているという話を伺って、今度はそちらに応募したんです。今も荻窪南口の商店街に食糧品店がありますが、昔は、荻窪の南側の線路沿いに1階が食糧品店で2階がレストランとして営業していました。

ーグルッペさんは有機野菜や自然食糧品を扱う店ですよね。
そうです。昔、グルッペのレストランでは、野菜はすべて1階で取り扱っている有機野菜を使ったり、白米ではなく玄米を炊いたりして、食材にすごくこだわっていました。出汁ひとつでも、野菜と昆布だけで取ったりして、かつおなどの動物性の出汁を使わなくても、手間をかけるとおいしくなることを、私はそこで教わりました。グルッペでは、メインのメニューでもお肉はあまり出していなくて、お魚の方が多かったですね。自然食にこだわっている店だったので、食材を厳格に選んで食べに来る方もいらしたし、特にこだわり無く、お酒と一緒につまみを楽しむ方もいらして、いろいろなメニューがバリエーション豊富に用意してありました。

ー大友さんがメニューを考案することもあったのでしょうか?
いえ、その頃は店の定番メニューを私が入る前にいた料理長が考案していて、そのレシピを踏襲していました。私はその次の料理長のときに店をリニューアルしたタイミングで働き始めました。

ーグルッペで料理の知識を得て、技術も磨かれたかと思いますが、ずっとそこで働き続けたわけではないんですよね?
はい。ある時、グルッペにアルバイトをしに来た女性が、私のその後を変えてくれました。その方は、以前、民放のテレビのディレクターをされていましたが、仕事がきつくて体を壊してしまって、退職してグルッペで働き始めたんです。食べたものが良かったのか、働き方が良かったのか、彼女は1年で体調がすごく改善して、今度はNHKでディレクターの仕事に復帰されたんです。一方その頃、私は結婚して、妊娠して、3年ほど勤めたグルッペを辞めて、1人目を出産していました。そして、恐ろしいことに(笑)次の年には年子で2人目を出産したんです!
ドタバタと2人目を出産したのも束の間、ある日彼女から電話がかかってきて、「新しい番組がこれから始まるんだけど、料理ができる人を探しているんだ」とテレビの料理番組の手伝いの誘いをいただいたんです。年子で2人目を出産した直後でしたが、これから仕事をどうしようかちょうど迷っているところでした。でも、仕事がない限り、子どもたちを保育園には通わせられないので、まだ産後からたった2ヶ月しか経っていませんでしたが、”渡りに船”で引き受けてしまったんです。

ー産後2ヶ月でテレビの仕事だなんて、想像するだけで辛そうです。しかも年子で育児なんて!
今思えば随分無謀なことをしたと思いますが、働かないという選択肢が私の中には無かったんです。そして、なによりもまず、子どもたちを保育園に通わせるチャンスを逃すほうが、私にはずっと大きい問題でした。それに、「仕事をしませんか?」って声をかけられると、「はい!」って答えてしまう癖があって、そのときも反射的に引き受けてからちょっと悩みました(笑)。体調は悪く無かったんですが、これでよかったのだろうか、できるのだろうか、と、「はい!」の後ですごく悶々とはしていたんです。
大変な状況で新しい仕事を始めましたが、すごく幸運なことに、携わることになった番組が、生放送だったんです。生放送って、何があっても、とにかく終わる時間が決まっているのがいいんです。夕方の番組で、17時には間違いなく終わります。それで、逃げるようにスタジオを後にして、保育園へお迎えに行って帰宅すれば、あとは部屋がぐちゃぐちゃでもかまわない。毎日決まった時間に出て、帰って、出て、帰って、とやっていけたので生活が回っていました。それは私にとってすごく幸運でした。

ーでも、今まで店で調理をしていたのが、急にテレビの仕事に変わって、不安は無かったんでしょうか?料理番組の仕事とは、どんなふうに1日が流れていくのでしょうか?
水曜日から金曜日まで、生放送で5分くらいの料理コーナーの手伝いをさせていただきました。放送の日は家を朝7時に出て、その日に使う食材をスーパーに買いに行きます。そして、スタジオに着いてからセッティングをして、まずは綿密なリハーサルをします。そのメニューが予定通り放送時間内に作れるのかを検証するために、食材から調理器具や食器までの一式を揃えて作ってみます。検証後、本番用にもうまた同じものを揃えますが、一度作ってしまっているので、もう終わったような気になってしまって、本番では気が抜けている、みたいなこともありました。その一連の流れの緊張感や気持ちのリズムが掴みづらくて、当時は夫にも、何をやっているんだろう?と思わせていたはずです。結構迷惑をかけていたんではないかと思います。

ー確かに綿密にリハーサルをしていたら、本番では安心しきってしまいそうです。経験のないその仕事で、先導してくれる方はいらっしゃったんでしょうか?
最初の2週間だけ、NHKの有名な料理番組の『きょうの料理』を受け持たれている方が、コーチで入ってくださいました。その方が進行の段取りをしてくださるので、自分の仕事は簡単だと思っていましたが、いらっしゃらなくなったとたん、何していいのかわからなくなりました!

ーでも生放送ですものね…。
そうなんです。実は私、生放送中に調理器具のミキサーを止めたことがあって…。直前まで使っていてコンセントはつながっているんですけれど、本番中にボタンを押しても回らなくなってしまったんです。慌てて進行を替えて、無理やり「ワンポイントコーナー」に飛んでもらって、その間にミキサーを持ってスタジオを走り回って、どうしようどうしようとすごく焦りました。実はミキサーは、電気のブレーカーみたいに、使いすぎると壊れる前にスイッチが自動的に切れるようになっているんです。裏にリセットボタンがあって、それを押すとまた使えるようになる、という仕組みなんですが、それになんとか気がつきました。直前にミキサーを過剰に使いすぎていたようで、自動停止してしまったんです。リセットボタンを押して、ワンポイントコーナーが終わる直前にやっとミキサーが回りだして事なきを得ましたが、あの時ミキサーが回らなかったら私はその仕事を辞めていましたね(会場爆笑)。そういうハラハラすることや、奇跡があったりしながら、4年くらいその番組は続きました。

ーそれは聞いているだけでも焦ります!そんな緊張感のある仕事からの帰宅後はどんな生活だったのでしょうか?仕事後も家でもしっかり夕食を作っていたのでしょうか?
まず、子どもたちを保育園にお迎えに行って、帰宅して、ご飯を食べさせて、お風呂に入れて、寝かせる、というそれだけを繰り返している感じでした。年子でバタバタな夜でしたので、夕飯は体に良いものを揃えて食べさせよう、なんて全然思っていなかったです(笑)。お腹いっぱいになれば良し、という感じです。夕食をきちんと作る、というよりは、おにぎりを握って、海苔と味噌汁と…次の日はうどんで、また次の日はおにぎり、みたいな繰り返しでした。それでも、なんとかなるものです。

ーその頃お子様はまだ乳幼児の頃ですよね。本当に大変だったと思います。事前にお話させていただいたときに、下のお子様がアレルギー持ちだったとお聞きしましたので、私は勝手に、その当時からお子さんのために薬膳料理を始められたのかと思っていました。
下の娘は生まれたときから顔が真っ赤で、血が滲むほどのひどいアトピー性皮膚炎で、気管支炎もよく患っていました。最初にかかったお医者さんが、よく効くけれど副作用が心配だと言われるステロイド薬を子どもには与えず、母親が徹底した食事管理のもとで栄養を摂取して、1日でも長く子どもに母乳を与えなさい、という指導をしてくれました。すごく嫌でしたが、母乳を3年も与えました。保育園ではミルクも飲ませていましたが、できるだけ私は乳製品や卵や大豆製品を控えるようにして、米も、アレルゲンの少ない「酒米」という、日本酒を作るために精米された米を買ってきて食べていました。普通の白米よりさらに周りを削り取った米ですが、私はあまり好きになれなくて、ひとりで食べるのは寂しいので、家族にも同じ米を炊いてみんなで食べていました。だから、そのときに薬膳料理を作っていたわけではないんです。幸いに、娘に肉や魚のアレルギー反応は無かったので、食べていましたが、アレルギーのために、ああしろこうしろと、いろいろな指導をされると、頭がパンクしそうでした。それでもあまり良くならないので、思い切って別の病院に行ったら、今度は、痒みや痛みをただちに止めてあげたほうが子どものストレスにならないので、ステロイド薬を使ってまずは一気に皮膚を治しましょう、と言われたんです。そうしたら、娘にはその治療が合っていたようで、そこから快調でした。私は母乳のためにできるだけ食事制限を続けていましたが、娘は調子よく、気持ちよくいられるようになりました。なんていうか、最初の医師が合わなかったとかそういうことは思いませんでしたが、治療法がいろいろあって、選択肢もいろいろあるんだな、とその時に思いました。治療のための制限が苦になって逃げたとも言えますが、逃げたことで、別のことを試せたので、ひとつのことにこだわりすぎないことが楽になるのだな、それが結果的に良かったな、と実感したんです。

大友さん対談の様子ーお忙しいだけでなくて、子育てもご苦労されてきたんですね。
慌ただしくしていましたが、仕事はNHKなので、相撲の放送がある奇数月は料理番組の放送が無くて、比較的ゆったりと過ごせていました。その間に、できなかった家事をやったり。でも偶数月はやはり忙しかったです。今週、今月乗り切れば、という感じの短いスパンの中で回転していて、展望も夢も考える暇がなくて、とにかくひたすら仕事をして、家事育児をやっていました。でも、ある時、その番組自体が終了することになったんです。終わることになって、そこから自分の仕事をちゃんと考えてみました。私は忙しくやってきたけれど、フリーランスだし、何かが特別優れているわけではない、ということを強烈に思い知らされたんです。このまま仕事を辞めるという選択肢がないわけではなかったのですが、それまでの仕事が楽しくて面白くて、やっぱり他のことをやるよりも…、という思いで、番組で出会った料理の先生のアシスタントの方々と連絡を取って、今度は他の現場や民放のテレビ局の手伝いをさせていただくことになりました。

ーいろいろと考えて、またテレビの仕事を始められたんですね。グルッペのバイトの方の話では、民放のテレビ局はハードとのことでしたが、実際いかがでしたか?
民放のテレビ番組は、それはもうおかしいほどハードでした!早朝に家を出て、夜中0時を超えて帰宅するということもある、恐ろしい現場でした(笑)!私は日雇いだったので、それだけでも不安定な働き方でしたが、テレビ局の仕事は3時間で終わっても、15時間かかっても、いただける給料は同じ額なんです。時代もあったと思いますが、今で言う「ブラック」という働き方ですね(笑)。

ー早朝に出て、夜中に帰宅するということは、お子様はどうされていたんですか?
子どもの面倒を見てくださるサービスを利用していました。保育園へ子どもをお迎えをしていただいたり、学童から帰宅した子どもと過ごして、冷蔵庫に入っている夕食を食べさせていただいたり。あとは夫が帰宅する20時くらいまで、子どもたちと一緒に待っていただきました。さすがに毎日毎日0時過ぎの帰宅ではありませんでしたが、帰宅が21時、22時になることはよくありました。でも、その頃は、なかなか経験できない仕事をやっていたんです。

ーなかなか経験できない仕事とは?
出演するゲストの方々が料理の腕を競う、という番組に携わったことがあるんですが、私のような料理スタッフたちがそれぞれゲストの担当になって、ゲストが作るメニューやレシピを考える仕事をしていました。与えられたお題でメニューを決めて、そのレシピを考案するんですが、ちょっと変わったレシピのほうがウケるので、頑張って考えます。でも、考えなければならないレシピの数がひとつやふたつではないので、レシピを出すうちにアイデアもだんだんなくなってくるんです。それでも「面白いレシピを考えろ!」と言われて、「今すぐはそんなアイデア浮かびませんよ!」と返すと「限界を超えてなんぼでしょ!」って怒られて、レシピを出すまで会議室に閉じ込められたこともあります(笑)。今みたいに、その場でスマートフォンで検索などできない時代でしたので、泣きながら考えていました。そのうち、モノは言いようというか…普段料理を全くされていないスタッフたちにレシピをプレゼンテーションしていたので、こちらがちょっとレシピの言い方を変えたりすれば、相手に面白く聞こえるということに気がついて、そんな苦肉の策を取ったりしました。でもその作戦がバレて、怒られたり…(会場爆笑)。あの頃はすごく苦しい思いもしましたが、泣きながら無理やりでもレシピを考案し続けた経験はちゃんと今も活きていて、のちに料理本を制作するときのレシピの発想のトレーニングになっていました。

ー泣いてしまうほど苦しいときもあったけど、その仕事の貴重な経験がレシピ本の制作へとつながっていくんですね。その後テレビから本の仕事に移っていったんですか?
だんだん、テレビの仕事ではない現場にも行くようになって、雑誌に掲載する料理を作ったり、料理家の先生の手伝いをするようになりました。雑誌の撮影の現場はテレビの撮影とは全然違う世界なんですよ。テレビは時間に追われるので、運動会みたいにずっと走っている感じなんですけれど、紙媒体の世界は穏やかで、時間の流れ方が全然違うんです。もう、私はその頃45歳を過ぎて、体力的にもテレビはきついと感じていたので、紙媒体の世界に行きたいと強く思いました。テレビの仕事にはもう充実感があったので、そろそろシフトしたかったんです。そんなとき、雑誌の仕事で出版社の方とお話ができて、「企業本を作ってみませんか?」と声をかけられました。

大友さん執筆のレシピ本

大友さんのレシピ本 企業の商品を使ったレシピ本から、薬膳料理のレシピ本まで幅広い

ー企業本とはこれらの本でしょうか?(本を掲げて観客のみなさんに手渡しする)
はい、私の名前が前面に出る本ではなくて、様々な食品会社の有名な商品を使ったレシピの本です(おやつカンパニーのベビースターラーメン、チョーヤの梅酒、キッコーマンの豆乳など、様々な企業商品を使ったレシピの本)。その編集者と知り合って、レシピ考案のオーダーをいただきました。最近出版したのは、ベビースターや豆乳の本です。こういう決まった商品を使ったレシピの考案では、まさにテレビで無理やりレシピを考えた経験が活きています。

ーこちらの『おくすり』というタイトルのシリーズ本も出版されていますね。
はい、企業本を制作したことで編集者とつながりができて、こちらから企画を出すようになりました。ちょうどその頃から、薬膳料理に興味を持ち始めて、薬膳の考え方を用いて、体調に合わせて作るお味噌汁のレシピで企画を出したんです。その時は、編集者の企画アイデアと私の企画がたまたま近かったので、話が進んですごくラッキーでした。薬膳料理は今でこそテレビや雑誌で取り上げられるようになりましたが、出版当時は世の中に情報が今ほど浸透していなくて、難しい料理のように思われるかと思ったんです。だから、具体的に効能を書き連ねるのではなくて、毎日飲んだり食べたりする食事の具材をこんなものにすると、ちょっと体に良いですよ、という感じでサラッと読める内容にして、タイトルも”薬膳”ではなく『おくすり○○』と名付けました。たとえば『おくすり味噌汁114(出版:ワニブックス)』に掲載した”ほうれん草とヨーグルトの味噌汁”なんていうの、面白いでしょ!

ーえー!?ヨーグルトを味噌汁に入れるんですか?
そうなんです。以前、ミシュランで星をもらっているレストランのシェフと仕事をしたときに、「ヨーグルトは出汁なんですよ」と話されていて驚いたんですが、作って飲んだら本当においしくて。ものすごく発想が柔軟な方で、教えていただいたことがレシピを考えるときの助けになっています。

レシピ本を見る観客の方々ー経験や人との出会いが活きていらっしゃいますね。テレビに比べて紙媒体は穏やかとお話されていましたが、どんなふうに仕事を進めていくんでしょうか?
仕事の依頼をいただいて、1-2ヶ月くらいでメニュー案を出します。すると編集者が構成を考えてくださり、全体のバランスから、こんなメニューも出してみてください、なんて言われます。あらためてメニューを考え直して、その中から編集者がよりよいメニューをピックアップしてくださったら、それについてのレシピを書くために試作をします。最初から奇をてらうようなメニューやレシピではなくて、まずは出来上がりが想像しやすいレシピを書いてから、なにかひとつ普通は入れない具材を入れてみたり、材料を別のものに変更してみたり、あまり他では見ないようなアレンジを加えます。そういう試行錯誤で2ヶ月くらいかかります。そして、レシピが全部完成したら、3日間くらいで料理を撮影をします。撮影するには、食器やカトラリーなど、見栄えや雰囲気を良くするための周辺の素材も必要になります。撮影の前に食器のリース屋に行って、食器はもちろん、その下に敷く布地や板も借りてきて、大量の荷物を家に運びます。食材は自転車で10回くらい往復して、近所のスーパーや八百屋で買ってくるので、冷蔵庫に入りきらなくてクーラーボックスを使うこともあります。家の中は足の踏み場もなくなるくらい、撮影の材料でいっぱいになります。

ーそれをお一人でやっているんですか?
撮影の当日は手伝いに3名ほど来ていただいています。私の調理の手伝いをしたり、借りてきた食器を並べたり、布地にアイロンをかけて敷いたりと、いろいろな準備を手伝ってくださいます。

ーそれは共同作業でないと大変だと思います。そういう本の仕事も忙しくこなされる中で、大友さんは国際中医薬膳師の資格を取得されたんですよね。失礼ですが、それまで調理師免許や栄養士の資格などはお持ちではなかったんですよね。長年仕事をされてきた上で、国際中医薬膳師の資格を取得されたのは、どうしてでしょうか?
全く資格がなくても、料理の仕事はできてしまうんですよ。でも最初に本を出したときに考えたんです。これを仕事にしていこうと思っているのに、私は有名な先生のアシスタントを長くやってきたわけではないし、料理についての専門的な勉強を重ねてきたわけでもない。そんな私の本を買いたくなる魅力ってなんだろう、と思ったんです。それで、本を買っていただいた方に、ただレシピを伝えるだけではなくて、ちゃんとした”お土産”をつけたいなと思ったんです。このレシピはこんな体調のときに食べるとよいですよ、とか、こんな食材の組み合わせで症状が和らぎますよ、という情報のお土産をつけることで、私のレシピに魅力を感じていただけるかな、と思ったんです。料理って、毎日のことだったり、やろうと思えば誰でもできたり、そんなに特別なことではないですよね。ましてや、レシピ本なんて見なければならないものでもありません。それなのに、わざわざレシピ本を買って、読んで、作っていただくんです。その”わざわざ”の理由をきちんと添えたいと思って、資格を取りました。

最新刊の本を持ってー確かに作り方だけでなく、それがどんなふうに体に良いのかを教えていただけると、作ってみたくなります。大友さんの最新刊『七十二候の食薬レシピ(出版:学研プラス)』も薬膳の本ですね。
はい。それまでの本はできるだけ簡単に平易に薬膳料理のことを伝えるようにしたのですが、この最新刊は急に理屈っぽくなりました(笑)。こんなに文章があったら読むのが面倒に思えますよね。でも私もそうなんですが、毎年毎年同じ季節に同じ体の不調が出るのに、それを我慢してやり過ごしてしまう人って多くないですか?普段の食事でその不調が少しでも和らげば、という思いを込めて”お土産”をたくさん書きました。

ーなるほど。私も読みましたが、確かに情報が満載です。でも、写真や挿絵もたくさん入った素敵な本で、勉強になったのはもちろんですが、楽しく読めました。今の大友さんの仕事は、こういった本をお書きになることが中心なんですか?
本を書かせていただいていますが、今ものんびりと月2本くらいテレビの仕事も続けています。あんまり忙しくないのは寂しく思えるんですよ。以前よりペースはのんびりですが、仕事は続けていきたいです。

ー今後の大友さんの本も楽しみにしています。このゲストインタビューではこれまでの人生のご経験から、今、進路に悩む中高生の方々へメッセージをいただいています。
私の人生は、なんだか行き当たりばったり、という感じで、若い方々に大それたことを言える立場ではないのですが、私の場合、「面白いな」「やってみたいな」という思える仕事をずっと紡いでこられたのは、無謀でもとにかくその場に行ってみたからなんです。そういう勢いって大事なのかもしれません。それでやり始めると、大変なこととか辛いことももちろんありました。でもそんなときは、とにかく走り抜ける感じで目の前のことをこなしていきます。そうして過ぎてしまえば、なんとか出来ちゃった、意外と面白かった、なんて思うこともたくさんあります。だから、あまり複雑に考えずに、少しでも興味を持ったことがあれば、まずはそこへ行ってみる、やってみる、という簡単な始まりで良いのではないか、と思えます。

ー迷っているときに背中を押してもらうようなメッセージですね、ありがとうございます。最後に、大友さんの走り続ける人生を支えている宝物を教えてください。
はい。こんな無謀な仕事の仕方と、生き方をしている私を、我慢して受け入れてくれている家族が宝物です!

ーありがとうございました!今後ますますのご活躍を期待しております。

 
 

大友さんの本に見入るみなさん
【観客の皆様からの感想や質問】

ー今、大友さんの本を拝見していますが、作ってみたいレシピがたくさんあります。次々とレシピを考案されるのは大変だと思いますが、どうやって新しいレシピを思いつくのでしょうか?やはり、うーんと頭をひねったら思いつくのでしょうか?
そうですね、私は他の料理家の先生のレシピ本を見るのがすごく好きで、それはもう趣味と言ってもいいくらいなんですが、おいしそうだな、きれいだな、なんてしょっちゅう本を眺めているので、そこで得られた知識や感覚の蓄積が頭の引き出しにあります。それと、ちょっと変わったことをしてやれっ!ていつも思っているんです。私のレシピを面白いと思ってもらいたいので、対極にある食材とか、あまり使わない食材とかを組み合わせてみようかな、なんていうことは常に考えています。

ー大友さんの本には、簡単に作れるレシピがたくさんあって、いいなと思いました。大友さんにとって、これこそはすごいレシピだ!と思える自信のレシピを教えてください。
全然すごくはないんですが、手軽に”味噌汁の素”を作る、というのを考案して、これは忙しい方には本当に便利で、私もずっと作り続けていて、いろいろな方へおすすめしています。普通のスーパーで売っている750mlくらいのプラスチックの容器に入った味噌を一旦取り出して、鰹節とすりごまと乾燥わかめを混ぜ入れます。すりごまはすごく大事で、コクが出ます。最低限その3種類の具材を入れますが、フリーズドライのほうれん草や人参やお麩なども売っているので、お好みでそういう乾燥した具材を入れてもいいですね。混ぜたら、それをまた味噌の容器に戻して…ぎゅっと詰めると意外と収まるはずなので、あとはそれを冷蔵庫で保存します。味噌汁をいただきたいときにお椀に大さじ1杯くらい味噌汁の素を入れて、お湯で溶くと、あっという間に味噌汁が完成します。だし入りの味噌も売っていますが、普通の味噌でいいですよ。食べる前にちょっと余裕があれば、味噌汁の素と一緒に、加熱の必要がない三つ葉や万能ねぎや豆苗を刻んでお椀に入れてみてもいいですね。その自家製インスタント味噌汁の素があれば、あとはご飯と、冷凍餃子を焼いたりするだけで、食卓の辻褄が合うじゃないですか。私はそれを続けています。


大友さん執筆のレシピ本

大友育美さんのレシピ本(写真左上から右下へ)
『ベビースターラーメンレシピ - 食卓で大活躍! 簡単&おいしい101品 -』(出版:ワニブックス 監修:株式会社おやつカンパニー)
『ヨード卵・光 毎日! たまごレシピ』(出版:ワニブックス 監修:日本農産工業株式会社)
『砂糖を使わずに生まれた自然の甘さの糀ジャムレシピ』(出版:ワニブックス 監修:マルコメ株式会社)
『チョーヤ社員の梅酒レシピ』(出版:PHP研究所 監修:チョーヤ梅酒株式会社)
『もっとヘルシー!豆乳レシピ2』(出版:ワニブックス 監修:キッコーマン飲料株式会社)
『料理の油をすっきり流す 烏龍茶レシピ』(出版:ワニブックス 協力:サントリー食品インターナショナル株式会社)』
『玉露園のこんぶ茶アイディアレシピ』(出版:学研プラス 協力:玉露園)
『七十二候の食薬レシピ』(出版:学研プラス)
『おくすり飯114』(出版:ワニブックス)
『おくすり味噌汁114』(出版:ワニブックス)
『おくすり晩酌 – ちょい足し薬膳でおいしく心と体をいたわる -』(出版:ワニブックス)
『おくすり常備菜130』(出版:ワニブックス)
『やみつき小鍋』(出版:学研プラス)
『無限レシピ』(出版:ワニブックス)



これまでのゲストのインタビュー集

  • 内山知子さん

    内山知子さん

  • 浦部真実子さん

    浦部真実子さん

  • 大岩俊介さん

    大岩俊介さん

  • 井口雄太さん

    井口雄太さん

  • 大友育美さん

    大友育美さん

  • 麻田ゆきさん

    麻田ゆきさん

  • 万田祐三さん

    万田祐三さん

  • ピグマリオン恵美子さん

    ピグマリオン恵美子さん