シュシュサロンゲストデー 2021.8.30 第3回 大岩 俊介さん

大岩俊介さん今回は西荻窪で本格南インドカレーを提供されている『大岩食堂』の店主、大岩俊介さんにお越しいただきました。大岩食堂は西荻窪駅から徒歩2分程の、JR中央総武線の高架下に2014年8月に開店し、今年(2021年)8月で8年目を迎えました。大人はもちろん、子どもにも美味しいと西荻で大人気のお店です。そんなお店を作られた大岩さんの軌跡をお伝えします。


インタビューを受ける大岩さんー現在、カレー激戦区の西荻窪で本格南インドカレー店を営む大岩さんですが、小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょうか。
僕は小学生の頃から中学卒業まで、サッカーをやっていました。僕の子ども時代はキャプテン翼(1980年代から現在も大人気のサッカー漫画・アニメ)がテレビ放送されていて、影響を受けてサッカーをする子が多かった時代ですが、僕は結構大きいクラブに所属していました。小学5年生ぐらいから週に2回、朝5時ぐらいに起きて、学区外まで自転車で行って朝練をしてから登校するという、今思えばスパルタ式とも思えるクラブでした。そのくらい練習していたので、チームは強くて、同じ年代で1人 Jリーガーになった人も出ているくらいです。僕は試合に出たり出られなかったり、ぼちぼちな感じでしたが、そんな強豪チームで出席率だけは1番でした(笑)。とにかく練習は休みませんでした。

ーひたむきで真面目だったんですね。 中学生まで続けたサッカーは、高校に入ってからも続けたのでしょうか?
いえ。学校の部活って顧問の先生の力の入れようによってチームの有り方が変わってくると思うんですけれど、入学した高校のサッカー部は、先生が普段の練習には来ない体制だったので、ここでやってもきっと成長がないだろうなと思ってしまいました。それに高校生にもなると、いろんなことへ興味が向いたり、誘惑があったりするじゃないですか。結局サッカーはやめて、周りでバンドをやってる人たちがいたので、それじゃあ、僕はギターをやろう!と軽音楽部に入りました。

ーサッカー部とはまた違ったかっこよさというか、…軽音楽部はモテそうですね。高校生になると進路選択をしますが、そのときはどんな方向に進もうと考えたのでしょうか?
恥ずかしながら僕は勉強はほとんどできないタイプだったので、大学進学はまず考えていなかったんです。それで、料理の仕事はどうなんだろう、料理の仕事ってどんな世界なんだろう、というのはぼんやりと考えていたので、調理の専門学校に行くことにしました。…と言うか、他の進路を正直全く考えていなくて(笑)。もうそこしか受けなかったし、特に他の進路を調べたりもしませんでした。

ーそうだったんですね。その頃から料理界で成し遂げたい野望が見えていたんですか?
その頃はそんなの全くなかったです!(笑)

ー入学した調理の専門学校はどんな学校だったのでしょうか?
1年制の学校でした。でも入学したら、学校よりもプライベートの方が楽しくなってしまって。車の免許を取ったので、どこかに遊びに行くのが楽しくて、学校は休みがちだったんです。そんな日が続いたので、もう退学しようかな、と思って。 一緒に遊んでいた友達も学校を辞めちゃったので、僕も辞めてもいいかなぁ、なんて思ったんです。それで、親に、退学したいと話をしたら、学校で三者面談となってしまったんです。恥ずかしい話ばかりですが、面談中、親に隣で泣かれてしまって…。これはまずいなと思いました。そこで、卒業だけはします、と約束をして、それからは学校に通いました。それまで、あまりにも出席していなかったので、卒業前の2月から3月にかけて、休みの日も学校に行きました。でも行ってもやることがないので、先生から学校を掃除をしろと言われて…。学校をさぼりがちなメンバーが3人くらいいましたが、3人で学校を掃除して、なんとか卒業させてもらったという…。

ーサッカーの時の出席率とだいぶ違うようですが…(笑)。学校では調理の世界について実習などで知る機会はいろいろとあるんですよね?
そうですね、夏休み期間に、学校が指定したホテルで働きました。僕は埼玉県出身で埼玉の学校に通っていたんですが、学校から指定されたのが三重県の鳥羽水族館の近くのホテルで、そこで1ヶ月間修行したんです。そのときに初めて本格的な調理場に入ったんですが、ものすごく厳しいんですよ。それ以前に、僕の場合、三重の言葉が聞き慣れなくて、ご当地の言葉でまくし立てられて指示されると、余計にきつく言われているように聞こえて、萎縮してしまいました。それで仕事が全然できなくて、よく怒られていたので、研修が嫌で嫌でしょうがなくなってしまったんです。調理場以外ではホテルの横の小さな寮で過ごしましたが、そこからホテルに行きたくなくて。ちょっと小高い山の上で、移動手段も何もなくて、歩いてコンビニにもいけないような場所で、”隔離”されていました。

インタビュー会場の様子ーその実習で、料理で生きていくって、こんな感じなのかなと悟ったり分かったりしたんですか?
いや、実習を経て、正直この世界でやっていくのはちょっと難しいなと思ってしまいました。みんな卒業する前に就職活動をするんですけれど、僕は料理の世界でやっていく自信が無くて、就職活動はせずに、アルバイトをしていました。

ー専門学校で出会った人々は、高校を卒業したばかりの若い人が多かったのでしょうか?
もちろん、僕みたいに高校を卒業して入学してきた人もいるし、子育てが一段落して調理師免許取るために入学してきた人や、定年退職して居酒屋をやりたいからと入学してきた人もいましたよ。専門学校はいろんな人に調理の世界に入るチャンスが与えられるんです。

ーホテルの実習で厳しい調理の世界を知ってから、20代のうちはどんなふうに過ごされていましたか?
その頃は、バンドでなんとか生活できないかな…なんて、演奏は全然うまくもないのに、そんなことを思っていました。当然ですが、バンド活動で生活していけるだけの稼ぎが得られるわけもなくて、居酒屋でアルバイトをずっとしていましたが、なんだかこれでいいのだろうかと思って、どこかできちんと働こうと考え始めました。でも結局僕は料理以外のことがよくわからなかったので、イタリアンレストランの社員になろうと応募したんです。でも希望の店舗には社員の枠が無くて、別の店舗ならアルバイトで雇えるという話をいただいたので、そちらのイタリアンレストランにアルバイトで入りました。

ーそれはイタリアンの食事が好きだったからですか?
そうですね、イタリアンが好きだったこともありますが、当時は、巷で創作系の料理が流行っていたんです。それで、創作料理をやっているイタリアンレストランに応募したんです。

お話をしてくださる大岩さんーそこの調理場は厳しくなかったんですか?
そこは…怖い人だらけ(笑)!昔のシェフは、部下に厳しい人が多かったのかもしれません。シェフがイライラしたらシンクに鍋が飛んできましたし、僕のせいで駄目になってしまった食材は、僕の横のゴミ箱に投げつけられたりもしましたね。でも、僕は仕事ができないし、技術が無いので、とにかく頑張るしかなかった。勤務時間としては午後5時から11時までの仕事でしたが、どうやってもその時間内に仕事が終わらなかったので、勝手に2時間くらい早く行って、タイムカードも押さずにとりあえず仕事を終わらせることを優先していました。でもそんなことを続けていたら、ある日お店の扉が開けられなくなってしまって。もう店に入りたくなくて…。そんな心の状態になるまで1年くらい続けました。

ーそれは辛かったですね。その後はどうされたんですか?
イタリアンレストランは辞めましたが、また居酒屋でアルバイトを始めました。そうしたら、ある日、怖かったシェフが独立するということを、当時の先輩が連絡してきたんです。新しいお店をお前に手伝ってほしいとシェフが話しているぞ、と言われて。僕は、仕事ができないし、シェフのことが嫌で辞めたのに、なんでこんな僕に声をかけてくるんだろう?と思いました。でも、シェフは独立してから昔みたいなきつい当たり方はしなくなっているよ、と先輩から聞いて、もう一度挑戦してもいいかなと思えたので、再びシェフのもとで働くことにしました。

ーえ、じゃあ恐ろしかったシェフの元に戻ってしまったんですね!それは大丈夫でしたか?
やっぱり人間ってそんな簡単に変われるもんじゃないんですよね(笑)。最初は良かったんですが、1年ぐらい経つと慣れてきて、売り上げが立たないとか、お客さんが少ないとかでイライラされて、また強く当たられてしまいまいした。今なら経営に対する不安は理解できますが、そういう態度にはついていけないと思って、辞めました。

ーそれでまた転職されたんでしょうか?
そうです。とにかく”怖いシェフ”がいないところで働きたいと思って。食品のことならそれまでの経験で何となく品物も分かるので、食品関係会社で働き始めました。
実は、その頃、今の妻と出会ったんですが、妻はバリバリ仕事をされていて…(照れながら奥様へ敬語を使う姿に笑いが起こる)。僕はというと、なんとなく適当に働いている感じだったので、こんな働き方はまずいな…、と思っていました。それで、自分にできることは何かと考えたんですが、料理以外の仕事は思いつかない、というかそれしか知らないので、じゃあもう一度料理の世界に戻ってみようかと思って、食品会社のつてで、お店を紹介してもらって、フレンチ系のカフェレストランで店長として働くことになりました。

ーいきなり店長ですか!店長ということは、料理だけでなく、いろいろと取り仕切る役目ですよね?
そこは新しく立ち上げたお店だったんですが、立ち上げ時に雇われていた店長が辞めてしまって、 そこに僕が入りました。それでいきなり「君が店長をやれ」と指名されたんです。店長なんて全然経験もないのになんで僕が…と思いましたが、とにかくやるしか無いんで。本を買ったり、調べたり、食べに行ったりして、今考えたら恥ずかしいメニューですが、なんとか店を立ち上げました。それまで、食品関係の会社で働いた経験があったので、どんな食品メーカーがどういう商品を持っているのかを、料理人をずっと続けてきた人よりも知っていました。だから、ここは効率重視でメーカーの品を使おう、なんてうまいやりくりができて、そのときに、今までやってきたことで無駄なことはなかったな、と思えました。

ーいろいろな飲食店があると思いますが、食品メーカーの冷凍食品など、出来合いのものはそれなりに使われているのでしょうか?
厨房で働く人がどのような人かによって、作れる料理が変わってきます。週に数日しか来ないアルバイトで回しているお店もあります。毎日同じ人が作る環境であれば、調理方法を教えられるけれど、そうでない場合は一部にメーカーの商品を使って味を安定させることも考えます。今のメーカーの商品は、安くてクオリティの高いものが多いんですよ。店長として、どうやって効率的に利益を上げていくかを考えなければならないので、そういうものを上手に取り入れるお店も多くなってきています。

ーそうなんですね。話を戻しますが、そこで勤務されているときに東日本大震災を経験されたとお聞きしました。
そうです。震災の日は十条にあるお店から自宅のある学芸大学まで4時間くらいかけて歩いて帰ったんですが、クタクタになって帰ってきた翌日、お店の経営会社に電話して、この状況で明日からどうしたらいいか聞いたんです。そしたら、明日もお店に行けって言われてしまって。当時、妻の方は勤務先から、自宅待機していいと言われていて、この差は何なんだろうと思いました。僕の会社は働く人の安全や生活を大事にしていないのではないか、という負の疑問が芽生えた出来事だったんです。とりあえずお店には行きましたが、この会社にはずっとは居られないと思ってしまいました。そのときに、独立したいとまでは考えませんでしたが、いずれ自分でやっていくための武器みたいなものがちゃんとないといけないな、と思い始めました。それでふと思い出したのが、スリランカのカレーだったんです。
父が仕事の関係ですごく仲良くしていたスリランカ人がいるんですが、たまに家に来てカレーを作ってくれていたのを思い出しました。僕はカレーが好きだし、東京でスリランカのカレーを作れる料理人はなかなかいないのではないか、と思ったんです。それでその方に国際電話をして、「カレーの勉強がしたいんだけど、どうしたらいいですか?」と聞いたら、「とりあえず来い!」と言われて。「じゃあ会社辞めて行きます!」ということで、スリランカに飛びました。そこで、彼と彼のお母さんの家にホームステイさせてもらって、お母さんにカレーを教えてもらったり、レストランの厨房に入れてもらったりして、勉強してきました。

大岩食堂にてご夫婦でキッチンに立つ

ご夫婦で大岩食堂を営まれています

ー本場のスリランカの味を知って衝撃を受けたという感じですか?この修行後に日本に戻ってきてからはどうされたのでしょうか。
当時、東京でナンやバターチキンカレーを出すインドカレー屋さんはたくさんありましたが、スリランカやスリランカに近い南インドのカレーを出すお店は、ほんの数軒しかありませんでした。その時、東京駅の八重洲の地下街に『エリックサウス』という南インドカレーを出すお店がちょうど立ち上げられるところだったので、そこに応募して勤め始めました。

ースリランカで修行したとはいえ、東京では数店舗しかない珍しい料理ですものね。日本人にも好まれる本場のカレーの勉強や研究は難しかったのではないでしょうか。
エリックサウスの店内には、料理の責任者が集めた英語のインド料理本がいっぱい置いてありました。それを好きに見てもいいよ、と言われていたので、毎日何冊か鞄の中に入れて通勤時に読みました。当時は料理動画は今ほどネットに上がっていなかったんですが、インド人の料理の動画をひとつだけ見つけたので、それを何回も見て、どういうふうに調理しているのか、勉強しました。僕は英語は苦手なんですが、スリランカに行ったときも、本や動画を見るときも、調理に使う英語だけ調べるくらいで、あとは厨房でやっていることは言葉がわからなくても見ていればわかりました。

ーひたむきに勉強されていたんですね。その時は独立とか開業を夢見て仕事をしていたのでしょうか?
その時はまだです。とりあえず、この店でのし上がりたい!と思っていました。それまでいろいろと経験を重ねていましたが、いつも自分は仕事ができないと思いながら仕事をしていたんですよ。でも、エリックサウスに入って、周りと比べてみると、僕は意外と仕事ができている、ということがわかったんです。当時、料理をお客様に提供する経験を積んできた人がエリックサウスにはあまりいなくて、ここだったらもしかしたらもっと上までいけるんじゃないかと思えたので、とりあえずがむしゃらに勉強しました。偉くなったら指示出すだけでいいかな、なんてそんなことを少し考えていたんですけれど…冗談です(笑)。
2013年頃、インド料理の経験者がお店に入ってきて、キッチンはほとんどその人に任せて、僕はいろいろと動ける状態になりました。それで、何か大きいことをやりたいなと思っていたところ、代々木公園で『ナマステ・インディア』という10万人規模の来場者がある大きなインドフェスティバルが開催されることを知って、そこに何か出したら楽しいだろうな、とひらめいたんです。企画書を書いて、責任者の人に会議にかけてもらったら、「普通はこんな企画書では通せないけれど、面白そうだからやってもいいぞ、でもお前が全部やれよ」という話になりました。僕はやれれば何でもよかったし、なんとかなる、と思いました。

ーそれは準備が大変そうですね。
エリックサウスの経営本部が岐阜県にあって、そこの工場まで行って大量にカレーを作りました。イベントの二日間で、どんなメニューを出して、何を用意しなければならないか、全部ひとりで考えて準備するのは、ものすごく大変でした。

ーそれだとイベント後のやり遂げた気持ちは大きかったのではないでしょうか。
本当にそうですね。実はこのイベントを成功させたら、いよいよ独立に向けて準備しようと思っていたんです。イベントでの売上は少なかったのですが、すごい宣伝効果がありました。それで、社長に「やりきったので会社を辞めて独立します!」と宣言して独立の準備を始めたんです。

ーもう、のし上がるというよりは、自分でやっていけるという感覚がイベントの前後で湧き上がったのでしょうか。
というよりも、その頃、エリックサウスとしては業績はうなぎのぼりで、本当に凄かったんですけれど、会社として全体を見てみると、他の店舗で赤字が出ていたので、相殺しているようなかたちでした。エリックサウスとしては頑張って良い結果を出しているのに、そこで働く人に給与として反映されないのは、働いていて腑に落ちませんでした。

ーそういうことだと、別の道を考えてしまいますよね。様々な理由や転機があって独立を決めて準備に入られたんですね。独立して結果的に西荻に『大岩食堂』を開かれましたが、西荻に決めた経緯を教えてください。
当時は東急東横線の学芸大学駅近くに住んでいたので、まずその辺でお店を出そうかと考えていました。でも、他の場所でもいい物件があれば検討するつもりでいたところ、知り合いから「西荻もいいところだよ」と話を聞いたので、足を運びました。西荻の街を一通り見た後、お酒でも飲もうと、あるお店にふらっと入りました。「吉(きち)」という蕎麦とお酒のカウンターだけのお店です(今は新井薬師に移転しています)。そこで店主と話したのがきっかけで、西荻もいいかもと思ったんです。店主は、普通のカレー好きでは知らないようなかなりマニアックな店のカレーを食べた話をしてくれて、この人は何かすごい人なんじゃないかと思いました(笑)。その後、そこで僕がカレーを出すイベントを開かせてもらって、いろんなお客さんを紹介してくれました。そんなことがあって、西荻でお店を出せばいいんじゃないか、最初からお客さんが何人かいてくれる街はいいな、と思いました。

ーなるほど、そんな出会いがあったんですね。でも西荻はカレー激戦区で、ライバルも多いかと思うのですが、それは気になりませんでしたか?
そうですね、当時調べたら、西荻窪駅から1.5kmの範囲に、20件ぐらいカレーを出すお店がありました。でも南インドのカレーが食べられるお店は、駅の南側にある『オーケストラ』さんくらいでした。西荻にはいろいろな種類のカレー屋さんがありますが、これだけのお店が一つの街にあるということは、きっとカレー好きの人もいっぱいる、大丈夫だろう!と思いました(笑)

大岩食堂の看板ー大岩食堂は駅から近くてアクセスが良いところですよね。こちらに来てみて、西荻の街の印象はどう感じましたか?
僕はよくお酒を飲むんですが、西荻の飲み屋街が好きですね。お店を始めてから知りましたが、個人店がすごく多くて、お店同士の横のつながりも強い。街の人が、西荻をすごく愛している印象も受けます。荻窪でもなく吉祥寺でもなく、”西荻がいい!”みたいなのはお店をやっていくうちに、あぁなるほどな、と実感していきました。

ー大岩食堂がオープンしてからお子さんがお生まれになったんですよね?
はい、オープンして半年ほどで息子が生まれました。

ー今年(2021年)でオープンから8年目を迎えられますが、お店を始めた頃はどんな感じでしたか?
オープンしたての頃は、お客様はそれほど多くはなかったんです。でも、都内では珍しい料理を出していたこともあって、たくさん取材に来ていただきました。実は独立する前に、前のお店に取材に来てくれたライターさんに、独立してお店を立ち上げる案内をしたことが大きかったかもしれません。ライターさんは、新しいネタをいつも探していらっしゃるんで、他にない料理を出しているお店ということで、次々取材に来ていただいて、雑誌などにたくさん取り上げていただきました。

大岩食堂

高架下の商店街にあるおしゃれな大岩食堂

ー大岩食堂はとてもおしゃれな雰囲気のカレー屋さんですが、お子様向けのメニューもありますよね。子どもがお店へ入る、ということについてはどのようにお考えですか?
カレーのお店としては、ウチは少し値段が高めなんですけれど、その分、使う食材にはすごくこだわりを持っています。飲食店は原価を下げるためにどうしても安い食材を使うことがありますが、できるだけオーガニックのものや国産の良い食材を使って、子どもにも安心して食べさせられるものを作っています。うちの息子は2歳くらいからお店のカレーを食べていますが、そのくらいの年齢から食べられるものを出しています。もしまだカレーが食べられないお子様がいらしたら、幼児食を持ち込んでいただいても構いません。まぁ、食べられるようになったら是非ご注文いただきたいのですが…!(笑)
今はコロナ禍なので、店内飲食は心配なことが多いかと思いますが、お店としては消毒などして感染対策はかなり気をつけています。

ー大岩食堂では家庭で作れるスパイスセットを販売されていますが、先日「子供も食べれる南インド風チキンカレー」を我が家で作ってみたところ、子どもたちは辛くなくて美味しい!とよく食べました。調理時間も短くてあっという間に作れました。
実は辛くなるスパイスって本当にわずかしかなくて、それ以外は香りや色付けのスパイスなんです。子ども用のカレーは辛いスパイスを外して、別のものに置き換えることで、大人のカレーと同じような香りはするけれど、辛くないようにしています。それと、インドカレーは基本的に煮込み時間が短いので、割とパパっとできるんです。日本のカレーはコトコト煮込みますものね。

ー今はコロナ禍でテイクアウトすることも多くなりましたが、テイクアウトに関してもいろいろと挑戦されていますよね。
そうですね。テイクアウトで出るゴミのことを考えています。息子が海のプラスチックゴミを無くしたいという壮大な思いを持っておりまして、お店でも何かできないか考えました。まず最初に始めたのがテイクアウトのスプーンで、プラスチックではなく木のものに変えました。ストローも今の在庫が無くなったら終わりにします。お店で使っているタッパーも次に買うときにステンレスのものに変えようかなと。今あるものはもちろん使い続けるんですけれど、無理なく少しずつプラスチックゴミを減らす努力をしています。
ー私たちテイクアウトする側も、考えなければならない課題です。

ーいろいろなご経験を重ねてきた人生を振り返っていただきましたが、進路に悩む中高生に向けて、大岩さんからのメッセージをいただきたいです。
人生ではいろいろな人と巡り合うと思いますが、その出会いを大切にしてほしいなと思います。僕はたまたま子どもの頃に出会っていたスリランカ人によって、後の人生が変わりました。妻とも出会えて、いろいろなことを経験させてもらいました。人と出会うことで何かを経験し、何かが生まれると思います。出会いは大事にしてもらえたらいいなと思います。

厨房に立つ大岩さんーありがとうございます。では、大岩食堂としての今後の野望があればお聞かせください。
野望ってほどではありませんが、今、大岩食堂では家で作れるスパイスセットも出しています。市販のカレーは小麦粉を使っていることが多いので、アレルギーでカレーは食べられないという方もいらっしゃると思います。でも、大岩食堂のスパイスセットには使っていません。そもそも南インドカレーは米に合わせて食べますし、ほとんどのカレールーは小麦粉を使わないで作るので、小麦アレルギーの人でも食べられるカレーがいろいろとあるんです。大岩食堂のカレールーも基本的には小麦粉を使っていませんが、魚の衣などに使うことはあるので、小麦アレルギーの方は、注文時にお声がけください。多くの人に美味しく食べていただければ嬉しいです。

ー最後に、大岩さんの人生を支えている言葉があると伺いましたが、教えてください。
僕が料理をするきっかけになったのは、小学生の時に家でチャーハンを作ったことなんです。母が食べてくれて、その時に「美味しいね」って言ってくれて。母に料理が上手だと褒められたのがすごく嬉しかったんです。そういう子どもの頃の出来事があって、この道に入って、今の人生があるんです。(会場の子連れのお母様たちを見て)料理の世界は厳しいので、あまり軽率にお子さんにそういうこと言わない方がいいなと思います(会場爆笑)。でも、とっても嬉しい言葉で、僕にとってはそれが人生を支えている言葉です。

ーありがとうございました。今後も美味しいカレーを西荻によろしくお願いします!

会場には大岩食堂のファンの方がたくさんいらっしゃいました!(皆様からの声の一部です。)
ー西荻に引っ越してきて一番最初に大岩食堂さんに行きました。人気店ですので並びましたが、最近食べた中で一番美味しいカレーでした!海外でも南インドカレーを食べたことがありますが、大岩食堂のカレーの方がずっと美味しいです。

ー小さい子を連れてお店でお食事したことがありますが、すごく優しくしていただいて、感謝しています。

ランチ

大岩食堂のランチ

ホットチャイ

ホットチャイ


大岩食堂大岩食堂
杉並区西荻南3-24-1 Google Map
Tel:03-6913-6641
ランチ・ディナーの営業は、大岩食堂ウェブサイトでご確認ください。
 
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