シュシュサロンゲストデー 2021.12.17 第8回 森下 久美子さん

森下久美子さんシュシュサロン8回目のゲストは森下久美子さんです。森下さんは杉並区出身で、東京・横浜・北九州の各地で幼稚園の教諭として勤められただけでなく、幼稚園の立ち上げや改革、保育園の選定にも携わってこられました。また、1992年から始まり、現在も多くの乳幼児親子が遊び、交流できる施設、「武蔵野市立0123吉祥寺0123はらっぱ」を創設し、長年館長をされていた、保育界のレジェンドともいえる方です。ご主人の転勤に付き添い、各地に移動しながらも、アグレッシブに保育の創造と挑戦を繰り返してこられた森下さんの半生をご紹介します。


ーみなさん、吉祥寺にある「0123(ぜろいちにさん)」をご存知ですか?行ったことはありますか?児童館とは違う、乳幼児親子のための楽しい施設ですね。これからお話いただく森下さんのお話を聞けば、ぜひ行ってみたいと思うはずです。幼少期からの人生をお聞かせいただく前に、森下さんが創設を手がけた「武蔵野市立0123吉祥寺」という施設について、まずは簡単にご紹介ください。
0123は、親と子が一緒に来て、一緒に過ごす場所です。無料で、0歳から3歳までのお子さん連れであれば、誰でも行ける場所です(*2022年2月現在、新型コロナウィルス流行のため、武蔵野市民のみの利用に制限されています)。火曜日から土曜日までの、朝9時から夕方4時まで開館していて、いろいろなおもちゃで遊べる広い部屋、工作やお絵かきができる部屋、絵本があるスペース、外遊びのできる庭、食事ができる部屋(*現在はコロナ禍で食事はできません)など、様々な部屋やコーナーがあって、好きなときに来て、自由に過ごすことができます。職員も常駐していて、親子を見守っています。子どもが楽しく遊ぶのはもちろんですが、親同士が出会えて交流できる場でもあります。

ー設立から30年ほど経った今も多くの親子の居場所になっていますね。そんな施設を創り出すには、それまで森下さんが重ねてこられた、たくさんの経験がヒントになってきたのだろうと想像します。では、早速、森下さんの歩まれた人生をお聞きかせください。
私は杉並区の阿佐ヶ谷6丁目で生まれました。確か当時は1年保育だったかと思いますが、近所の「のぞみ幼稚園」に通いました。その後、武蔵野市に引っ越して、武蔵野市立第三小学校に入学しましたが、そこで非常に面白い担任の先生とクラスメイトに出会って、小学校時代は強烈な体験をいくつも味わいました。担任は若い男性の先生で、情熱いっぱいで、”みんなで一緒にやっていこう!”と言ってくれる、仲間のような存在でした。そして、クラスは、なにか不満や要望があると、みんなで一緒に考えて、子どもたちが主体になって解決しようとする、面白いクラスだったんです。当時は子どもが多くて、1年生だけでも1クラス約60人くらい、それが7クラスもあったので、休み時間は校庭が混み合ってなかなか自由に遊べませんでした。クラスの仲間はその状況に不満で、これをなんとかできないものか、と一緒に考えました。そこで、授業時間をずらして、他のクラスが授業中に、自分たちが外で休み時間を過ごせばいいというアイデアが出て、その計画を発表したら学校から許可が下りたんです。私のクラスが休み時間をむかえると、日直が白旗を出して、今は遊んでいいよとサインを出します。休み時間が終わるころには赤旗に替えて知らせます。そうして広い校庭をクラスのみんなでのびのびと使って遊びました。担任は音楽教師の資格を持っていて、音楽の授業は特に力を入れて教えてくれました。みんなは教室にある小さなオルガンでは物足りなくなって、パイプのオルガンが欲しくて、懸賞クイズ付きの壁新聞をガリ版で作って売ったり、古新聞や古雑誌を使って袋作りをして同級生の家の八百屋さんに買ってもらったり、親達も一緒になって協力してくれたりして、ついに二段鍵盤のいい音が出るパイプのオルガンを買ったんです。高学年になると、子どもたちで作詞作曲をして、オーケストラを作ってオペラをやったりもしました。普通の公立の小学校でしたが「自分たちで考えて自分たちで実現する」という面白い体験を子どものころにたくさんしたことが、私のベースになった気がします。こんなクラスだったので、進級するときに、クラスを替えないでほしい、というお願いを学校に出しまして、それが通って、私のクラスだけ、先生もクラスメイトもそのまま持ち上がりました。今ではそんなことは考えられませんが、親たちも子どもたちの味方で、一生懸命学校にお願いしたら、校長先生が許してくれたんです。1年生の時にクラス替えがあったような記憶もありますが、少なくとも5年間は同じ仲間で同じ担任で小学校生活を過ごしました。実は、0123の設立のときの武蔵野市長だった土屋正忠さんもその時の同級生で、子どものころ、同じ体験をしてきた仲間なんですよ。そのころの仲間とは今でも会いますが、私の宝ですね。

森下久美子さんインタビューの様子ー土屋元市長と同級生だったんですね!ものすごく強烈な、でもそれが森下さんにとっては”日常”の小学校生活だったのですね。0123を創る発想の原点が見えた気がします。森下さんは、そんな小学生のころから、将来幼稚園の先生になりたいという希望を持っていたのでしょうか?
将来なにになりたいかはあまり深く考えていなくて、文章を書くのが好きだったので、詩人になりたいと思ったり、小学校の放送の時間にマイクの前で話すのが面白くて、アナウンサーもいいな、と考えたりしたくらいです。

ーその後、中学生、高校生となって、興味関心はどのような方向に移っていったのでしょうか?
中学校からは私立の青山学院に行きました。高校、大学とそこで過ごしましたが、青山学院は、かなり自由で伸びやかで、人を信頼するとか、思いやるとか、愛と奉仕の精神を持つとか、そんな校風で、あたたかい心のいい人たちばかりに出会いました。高校生のころから、子どもが好きで、絵本や子どもの世界に関心がわいていました。幼稚園の先生になりたいとはっきりと思っていたわけではありませんが、友達に言わせると、そんなことを当時の私は言っていたみたいです。

ー部活動や課外活動ではどのようなことをされていましたか?
私は歌うことが好きで、音楽部に所属していました。1年上の学年には、筒美京平さんがいましたよ。ピアノをサササっと弾いてくれて。

ーえー!!(会場どよめき)
ー音楽部というのはどのような音楽をやっていらしたんですか?コンサートなどのイベントもされていたのでしょうか?
演奏会を開いたり、演奏旅行に行ったりしましたね。学校の活動として外に出向いて歌い、交歓コンサートのような交流を高校生や大学生のころやっていました。大学では合唱のサークルに入っていたんです。

ー大学ではどのような専攻に進まれたのでしょうか?
高校の仲間と一緒に、私は英文科に進むんだ、とずっと思っていたので、そちらへ進みました。英語の教職課程を取って、教育実習に行って、教えた生徒達を見てかわいいなぁと思ったのですが、もう少し違う世界があってもいいんじゃないかと思いまして。そのころから、英語の先生ではなくて、幼稚園の先生になってみたい、と思うようになりました。

ー大学でカリキュラムをこなしつつ、別の道へ進みたいと考えられたんですね。でも英文科では幼稚園教諭の免許は取れないかと思いますが、どうやって免許の取得に至ったのでしょうか?
そうですね、英文科卒では幼稚園教諭にはなれませんので、卒業後、まずは母校の大学の学生課で学生のサポートをする仕事に就きました。そして、仕事が終わった夜に専門学校に通って、幼稚園教諭の資格を取りました。そしてその後すぐ、学生時代から知り合っていた人と結婚しました。

ー当時は今とは違って、結婚するとほとんどの女性は、家庭に入って専業主婦になるのが普通の時代だったかと思いますが、専門学校に入り直してまでなりたかった幼稚園教諭と結婚生活は両立されていたのでしょうか。
夫は転勤の多い職種で、私はそれに従ってあちこちに引っ越しを繰り返したのですが、どこに住んでも幼稚園の先生の仕事はしたくて、主人の転勤先で仕事を探して数年勤めて、また引っ越して、その先で新たに勤め先を探して…、ということを繰り返して、もう何枚履歴書を書いたかわかりません。でもどこへ行っても、子どもが産まれても幼稚園の先生の仕事をずっと続けていました。

ーご主人の転勤する先々で仕事を新たに探すというのは、なかなかできることではありません。
欲張りだと思いつつも、仕事をしながら子育てをする、そんな生き方が好きでした。夫も、面白いからどんどんチャレンジしなよと言ってくれて。でも、そうは言うものの、夫はすごく忙しくて夜遅く帰ってきて、帰ってきたかと思ったら仲間をわーっと連れてきて、うちで宴会したりしていましたね。私も20代で若かったからか、意外とそういうのが平気で、楽しんでいました。当時はそんな我が家を気に入って住み込んだ人もいたくらいです。

森下久美子さんインタビューの様子ーそれはすごい…居候したいと思わせるくらい、楽しくてあたたかい家庭だったんですね。そういうご家庭を守りつつ、仕事をするというのは大変な面もあったかと思います。
そうですね、結婚したら女性は仕事を辞めるのが普通でした。夫は大企業に勤めていて、当時は社宅に住んでいたのですが、社宅住まいの奥様はみなさん専業主婦でした。平日の昼間に社宅の周りの草取りの行事があったりしましたが、私は朝から仕事に出かけるので、みなさんからなにをやっているんだろうといぶかしがられたり、のちに子どもが産まれてからは、日曜日しかお母さんと一緒に遊んでもらえないのね、かわいそうに、と囁かれたりしていました。そういう批判ややっかみもありましたけど、なにがかわいそうなんだろう、子どもは保育園でたくさんの友達と遊んでいるのにね、って私は思っていました。

ーそういう時代でも自分の信念を貫くところに森下さんの力強さを感じます。そのころの仕事はどうでしたか?
夫の転勤で北九州に行って、3年くらいすると東京に戻って、また3年後に北九州へ、と3年おきに行ったり来たりしていました。北九州でははじめ私立幼稚園に勤めていましたが、公立の幼稚園に勤めたくて試験を受けました。結婚している人やパートナーの転勤で移動する可能性がある人は採用しません、と聞いていたものの、私に決まったんです。それで、4月から働くことが決まったのに、4月に夫が転勤になると決まって、採用を辞退したこともありました。ご迷惑をかけてきましたね。

ーそうでしたか。それは残念でしたね。それで4月に東京に戻られたんですね。
はい、杉並区に移り住みました。最初は夫の実家がある横浜の幼稚園に勤めましたが、自宅からは遠すぎたので、退職して、久我山幼稚園に勤め直しました。そこには非常にやり手で、すごくアンテナが立っている園長がいらしたんです。私がいろいろと提案すると、面白い面白いと言ってなんでもチャレンジさせてくれました。子どもたちと歌や曲を作ってみんなで歌ったり、絵画展を開くときに有名な絵本作家を訪ねて原画をお借りしたり、物語を書いて幼児向け月刊誌に載せてもらったり、一般的な幼稚園ではやらないいろいろなことにチャレンジして、大いに学ばせてもらって、園長からは多大な影響を受けました。プライベートではそのころ長女を出産したのをきっかけに、一旦仕事から離れました。当時はまだ保育園の制度が充実していなくて、なかなか子どもを預けられなかったので、復帰したばかりのころは、子どもと一緒に出勤して、お茶室で同僚の先生にお世話をしてもらいながら仕事を再開したんです。その後、ようやく保育園に預けられると決まった矢先、また夫の転勤で北九州に移ることになりました。

ー環境が整ったと思ったらまた次のステージなんですね。北九州に再度移って、次のお仕事はどうなさったのでしょうか。
そのころ私は34歳になっていました。再び北九州へ行っても、やっぱり幼稚園の仕事がやりたいと言っていたら、幼稚園設立を目指している弁護士の先生とその息子さんを紹介されました。彼らは幼稚園経営や教育の実務経験がない方々だったので、私が協力することになって、それまで影響を受けた久我山幼稚園のような教育方針を盛り込んだ新設計画を立てました。夏から準備をして、開園の認可がおりたのは翌年1月でした。でも、その時期にもなると、普通は入園する幼稚園が決まっていますよね。それで、新聞に広告チラシを入れて、興味を持って電話をくれた家庭に車で一軒一軒個別訪問して、幼稚園の教育方針や魅力を丁寧に伝えに行ったんです。そうしたら、入園予定の園を辞退して来てくれる親子がいて、結局の37名もの入園希望者を集めることに成功して、4月に無事入園式を迎えることができました。私もその幼稚園でクラス担任をすることになりまして、当初は私の3歳の子どもも入園して、自分のクラスに自分の子どもがいる、という体験をしました。そんなスタートを切った幼稚園は、翌年4月には定員の140名近くの園児が集まり、人気の園として今も元気に続いています。

ー幼稚園を計画して開園させるという経験はまたすごいことですね。そちらには何年いらっしゃったのでしょうか?
やはりここも3年です。夫は同じ会社の中で、人のつながりもあっての転勤異動ですが、私はそのたびに職場も人間関係も替えなければならなかったし、子どもも転園・転校しなければならなくて、大変でした。

ー再び東京に戻られたんですよね?
はい。また働きたいと思って、まずは新聞広告で見つけた学習塾に勤務することになりました。そこは給料は大変良かったのですが、子どもたちにさせる勉強の内容があまり好きになれなくて、早々に退職しました。そして、再度久我山幼稚園に教諭として勤務しました。当時、久我山幼稚園は2年保育でしたが、3年保育になるよう、年少のめばえ組を立ち上げて、カリキュラムもつくりました。そうして数年間、久我山幼稚園での充実した時代を過ごしましたが、ある時、横浜の幼稚園の立て直しをしてくれないかという依頼があり、そちらの仕事を引き受けることにしました。その幼稚園は、園長と副園長の夫妻以外の教諭7名全員が退職してしまう、という大変な事態に陥っていたんです。でも、私は、立て直すのは大変そうだけど新しいチャレンジができて面白そうだな、と思ってしまいました。問題点に向き合って、新しい方針を打ち立てて、若い先生を新規募集して、園が再び動き出したのを見届けてから、私は通勤が遠いという理由もあって、2年後に退職しました。今はすごく人気の幼稚園になっていると聞いています。その後、中野の公立幼稚園で産休代替として勤務しました。そこでは公立と私立の幼稚園の違いを知る、貴重な体験をしました。

ー新たな幼稚園を創設したり、窮地に陥った園を救ったり、30-40代は多方面で大活躍されたのですね。そしていよいよ、そういう経験の蓄積が次のプロジェクトにつながるわけですよね。0123吉祥寺の計画が始まるかと思いますが、そのころのお話をお願いします。
私が40代半ばになったころ、小学校時代の同級生の土屋正忠さんが武蔵野市長をしていました。吉祥寺東町で廃園になった幼稚園の土地を市で購入して、彼はそこでなにか新しい事業をしたい、と考えていらっしゃいました。もともと地域から愛されて、惜しまれて廃園した幼稚園があった場所なので、子ども向けの行政サービスをやりたいという話が持ち上がり、私に声がかかったんです。それで乳幼児親子向けの「親子の広場」という発想が生まれました。自分の家みたいな雰囲気で、好きなときに来て好きなときに帰れる、そういう施設はどうかな、とだんだん話がまとまっていきました。私は、それまであちこちで仕事をして、たくさんの人に親子でお世話になった経験から、親子が一緒に過ごせて、同じように子育てをしている人に出会えて、子育てを学び合える施設があればいいな、と思っていたんです。それをやってみようと提案したら、土屋元市長が賛同してくれました。それで、参考になる施設はないかと、全国いろいろと探しましたが、そういうところは無かったので、心理学や教育学の専門の大学の先生方にご協力いただいて、親子が過ごしやすくて、子どもが楽しいと思える空間づくりの構想を練りました。

武蔵野市立0123はらっぱ

武蔵野市立0123はらっぱ 館内1F(2018年撮影)

ー0123吉祥寺が開所するまでの準備期間はどのくらいかかったのでしょうか?
4年もかかりました。市民の税金を使って、公共の施設を建てるので、なにごとも役所の方々と大義から細部までひとつひとつ詰めなければならなくて、すごく時間がかかりました。私としては、まず、24時間べったりと一緒に過ごしている乳幼児親子が、そうしていなくてもいい時間が過ごせる場所にしたい、という考えが根底にありました。しかし、親子が家庭で一緒に過ごせるなら問題はないのだから、そんな場所は本当に必要なのか、と役所には思われてしまいました。それより、保育施設や親の就労支援に予算を回すべきなのでは、とも言われました。でも、子どもを保育園に通わせる家庭には、保育料の補助や保育施設の拡充などでかなり税金を投入している一方で、保育園に入らない乳幼児家庭には、ほとんど支援がなくて、同じ子育てをする市民でありながら、とてもアンバランスな状況でした。それに当時は幼稚園に入るまでに家庭で過ごす乳幼児親子も今よりもたくさんいました。その中には、少子化も相まって、近所に子育て仲間を見つけられなくて、孤立して育児をしている人が大勢いたんです。そんな方々に向けて「親子が好きな時間に来て好きな時間に帰れる」とか「施設スタッフが親子に過ごし方を提示するのではなくて、過ごしたいように自由に過ごせる」とか「センスが良くて居心地がよいと思える空間にする」などという構想を立てましたが、役所に理解していただくことには苦労しました。なぜそうしたほうが良いのかと理由を問われたり、細かい説明を求められたりしました。私はそれまで幼稚園の教諭として子ども達を相手にしたり、幼稚園の立ち上げや改革の仕事をしてきて、その場に合わせた柔軟な対応や自由な発想が求められる仕事をしてきました。その経験から、感覚的に良し悪しを判断することもありました。それを書面にするのは難しく、役所の進め方に合わず、揉めることもありました。スタッフはなにをすべきだとか、来る時間に決まりがないのにどうやって親子を誘導するのかとか、収容しきれないほど親子が来たらどうしたらいいかとか、わざわざそのおもちゃを導入する理由はなにかとか、細部に渡っていろいろと心配されて、何度も会議を開いて、文書を提出しましたね。それでも、「面白いことだからやらせてみたら?」という土屋元市長の言葉で、最終的には役所の職員の方々も受け入れてくださったので、ありがたかったなと思います。

武蔵野市立0123吉祥寺館内

武蔵野市立0123吉祥寺 館内1F(2003年撮影)

ー私も0123吉祥寺に子どもを連れて行ったことがあるのですが、室内全体が木でできていて、木の香りやぬくもりを感じました。備えているおもちゃも到底家では買い揃えられないようないいおもちゃや、職員の方が手作りした、かわいらしい仕掛けなどもあって、館内全体が楽しく、ハイセンスですが、空間づくりで意識されたことはどんなことでしょうか?
まず、子どもにこうしなさい、と大人が指示しなくても、子どもが自由に行きたいところへ行って、気に入るおもちゃを見つけて遊べる空間を意識してつくりましたね。あと、0123は同世代の子どもを持つ親同士が出会える場所であることも大切な目的でしたので、親同士が交流して、子どもから一瞬目を離しても安心して過ごせる空間作りを目指しました。それと、乳幼児の子育て中って、街へ出て喫茶店でコーヒーを一杯飲むこともままならないじゃないですか。それができる場所であってもいいじゃないかと、カップ式自動販売機を設置して、ゆっくり飲める談話室もつくりました。スタッフの事務所についても、四角い机を並べるのではなくて、大きな丸テーブルにしたいと提案したんです。スタッフ同士顔を合わせやすく、自分の手荷物だけ持って、自由に作業場所を替えられる空間にしたいと思って強くアピールしましたが、仕事をする場所として適さないと当時の市の職員に却下されました。でも第二園の「0123はらっぱ」を作ったときには、会議室としてそれを実現しました。今、そういうオフィスにしている会社もありますよね。楽しい雰囲気をいっぱい詰め込んだ空間をつくりましたので、子どもは0123に来るのが楽しくてしかたがないし、帰りたくないよと出口で泣く子がいっぱいいます。それを見るたびに、「帰りたくないよね、でも明日もやってるよ、またおいで」と声がけをしました。親子で楽しそうに過ごしている表情にたくさん出会えたのは嬉しかったし、やりがいを感じましたね。

森下久美子さんインタビューの様子ー森下さんは、どんな大変な仕事も楽しくしてしまうところが素敵ですね。0123では建てるだけではなく、園長にも就任されて、20年くらいお勤めされましたよね。その後は杉並区で保育園の選定委員を長年勤められたとお聞きしております。
そうです。0123では、視察のために全国からさまざまな方が見えましたが、杉並区からもいらして、こういう施設はすごく面白いね、と評価していただきました。そして、杉並区の方にも力を貸してくれないかと声をかけていただいて、杉並区の親子ひろばに出向いたり、新しい子育てひろばをつくることに協力しました。その後、杉並区は保育園の拡充に力を入れることになって、保育園の選定にも長く関わりましたが、つい先日、その仕事にピリオドを打ちました。杉並区はもともと私が生まれ育った場所であって、結婚後も住んだり働いたりした地域ですが、今日またこうやって杉並区のシュシュで皆様と出会ってお話する機会をいただき、いろいろなことがつながっていると感じます。

ーありがとうございます。長年アクティブに勤められてきた森下さんの人生から、若い中高生世代へなにかメッセージをいただけないでしょうか。
私は5人の孫がおりますが、その中に中学生や高校生の子がいます。その子達を思い浮かべてなにが言えるのかなと考えました。あれこれと言うことはないのですが、人との出会いを大事にして、本をたくさん読んでください、と伝えたいですね。本の中には、いろいろな人のいろいろな人生が書かれています。中高生くらいの年齢であれば、人や本との出会いから、様々な人生があることを知ることができるでしょう。そうやって自分の価値観をつくっていってほしいと思います。

ーお孫さんたちは森下さんにとって一番大切な宝ですよね。最後に、ご家族以外で、人生でなにか大切にしている宝物があれば教えてください。
そうですね、家族が宝物であることは大前提ですが、私にはそれ以外にもいっぱい宝物があります。その中でも、生まれたときから大切にしてきている宝物が、お雛様なんです。昔、阿佐ヶ谷北にあった宮田家具店というところで、当時めったに手に入らないようなお雛様を祖母が見つけて買ってくれました。子どものころから毎年毎年、結婚しても、転勤があっても、飾り続けています。娘たちには別のお雛様を買ってあげていますが、私のお雛様は昔のお雛様らしいうりざね顔で、品があるような気がしていて(笑)。空き箱を重ねて赤い毛氈を敷いて、飾るときに「こんにちは」って挨拶をして、しまうときには「また来年ね」と声をかけるんです。もうボロボロになってきましたが、ずっとそばにある大切な宝物です。

ー生まれたときから持っているお雛様を今も大切に飾っているなんて、とても素敵なエピソードですね。それに、森下さんご自身が、これまでどんな状況でも自分のやりたい仕事を見つけて、チャレンジを続けていかれたことや、いろいろな場所や人との出会いを重ねることで、さらなるステップを踏まれていったことに、感銘を受けました。それと、子育ては大変ではあるものの、楽しいことなのだ、ということも改めて思うことがました。本日は素晴らしいお話をありがとうございました。

 
 

【観客の皆様からの感想や質問】
ー子どもがまだ幼かったり、パートナーの転勤があったり、住環境の変化があったりすると、いろいろと考えてしまい、仕事ややりたいことにチャレンジする気持ちを引っ込めてしまうことがあります。そういう人は私以外にもいるかと思いますが、森下さんの話からはそれがひとつも聞こえてきませんでした。森下さんは、そういうふうに、無理だなと諦めてしまう経験は今までなかったのでしょうか。
そうですね…、私は健康に恵まれて、夫に恵まれて、私を後押ししてくれる環境があったからできたのかもしれません。そういう環境に感謝ですね。これが違う環境だったら違う生き方をしていただろうと思います。でも、やりたいと思ったら前を向いて突き進む、面白そうだと思ったらすぐやってみる、そういう私自身の気質もあるのだと思います。コロナ禍ですが、東京に新しい建物ができた、なんて聞くとマスクをしてすぐに出かけますからね。野次馬気質というか、好奇心が強いというか…。だから、やる前から諦める、ということはこれまであまりなかったかもしれません。それに、私の周りにもチャレンジ精神がある方がたくさんいた気がします。土屋元市長や、勤めていたときの久我山幼稚園の園長もそんな人でした。あと、大学時代の先生には、やりたいことをやりなさい、だいじなのはお金じゃないのよ、と教えられたり、まだ成田空港ができる前の海外旅行が珍しい時代に、私に海外に行くことを強く勧めてくれた知人もいて、前に進むことに躊躇しない人とたくさん出会ったなぁとも思います。

森下久美子さんインタビューの様子ーコロナ禍で、0123は武蔵野市民の利用に限っているようで、うちは行くことができませんが、同じような乳幼児が遊べる施設は杉並区にもありますか?(パパさんが質問)
今日のこの場やシュシュさんの活動もまさに0123のような場ですよね。杉並区は児童館の一角には乳幼児親子のコーナーが設けられていますし、乳幼児親子だけが集える”子ども・子育てプラザ“もありますね(天沼、成田西、和田、高円寺、下井草)。私は昔、海外旅行でスウェーデンやカナダを訪れたとき、お父さんが積極的に子育てに関わる姿をよく目にしたので、「0123吉祥寺」を作ったときに、お父さんもどんどん来てくださればと思って、土曜日にも開館することにしました。「0123はらっぱ」は日曜日も開館しております。昔に比べて、お父さんが子どもを連れて行きやすい施設がどんどん増えていると思います。
(*お出かけの際は、開館日等、0123のウェブサイトでご確認ください)

ー来年は職場復帰して、子どもは保育園に入園するので、今よりも子どもと過ごす時間が圧倒的に少なくなります。森下さんは忙しくお仕事を続けられる中で、どのように子育てをされてきたのでしょうか。一番大切にしてきたことはなんでしょうか?
私の場合は、子どもの保育園の先生と仲良くなりましたね。保育園では今どんな遊びをしているか聞いて家でもやってみたりして、周囲からのアイデアを子育てに活用していました。子育て中は幼稚園で仕事をしていたので、夏休みや冬休みにまとまった休みが取りやすかったことも大きかったですね。普段はなかなか一緒にいられなくて子どもたちをよく留守番させていましたが、休みになると一緒に出かけました。ローンを組んででも子連れで海外に出かける、なんていうこともやっていました。親子でいる時間は長ければよい、というわけではなくて、一緒にいる時間を楽しんで、その時間を大切にできる方がよいのだろうと思います。一緒にいる時間が少ないからかわいそう、なんてことはまったくないですよ。親が生き生きと楽しく健康でいることが子どもにとっても大事です。うちは子どもが中学生くらいになってからは、塾や受験勉強を頑張っているからといって、子どもに寄り添うのではなくて、親は親でお出かけてしてきます、と留守番をさせて、子どもは自分で好きにご飯を用意して食べるという感じにしていました。このような生活でしたので、家族全員、自分のことは自分でする、必要なときに助け合う、というのは自然に育まれていったと思います。

ー森下さんが思い描く理想的な幼稚園はどのような幼稚園でしょうか。どういう幼稚園を選択するのがいいかを教えてください。また、子どもにおもちゃを買い与えるなら、どんなおもちゃを与えるのが理想的だとお考えですか?
園を選ぶときは、先生たちが明るくて仲が良いことや、通っている子どもたちはもちろん、送迎の保護者の表情が明るくて楽しそうかどうかを、判断材料のひとつにしてみてください。そして、子どもの発想を大事にして、子どもが自分で行きたい方向に動ける環境であるかどうかも重要です。目を輝かせている子どもを見守って、やってごらんと後押しできる環境が、幼稚園でも保育園でも家庭でも大切ではないかな、と思います。おもちゃも同様です。いろんなおもちゃがありますが、「こう使わないと遊べない」と、遊び方が決まっているおもちゃよりも、子ども自身が発想を加えて、作ったり変えたりして遊べるおもちゃがいいな、と思います。例えば積み木は、子どもがどう積んでも間違いではありませんし、高く積むにはどうしたらいいか考えさせてくれます。人形ならば、どんな家に住まわせてあげようか、などと考えますよね。車なら色別に整列させたり長くつなげたり、恐竜なら大きさや肉食・草食で分けて戦わせたり、子どもが自由に発想して遊べます。そうやって、子どもがいいなと思ったり、感動したりする感性を、おもちゃを通じて磨けるといいですよね。こうしたらどうなるだろう?こうしたら面白い!と子どもが考えたら、それを大人は、いいね、すごいね、とそばで応援してあげればいいと思います。


森下久美子さんの著作本のご紹介

森下久美子さん著作本


子育て広場 武蔵野市立0123吉祥寺 地域子育て支援への挑戦
柏木惠子/森下久美子編著(出版:ミネルヴァ書房)

『あそびをせんとや 0123子育ち日記』
森下久美子著


森下久美子さんが創設に関わった武蔵野市立0123

武蔵野市立0123吉祥寺
〒180-0002 東京都武蔵野市吉祥寺東町2-29-12 Google map
TEL 0422-20-3210

 

武蔵野市立0123はらっぱ
〒180-0011 東京都武蔵野市八幡町1-3-24 Google map
TEL 0422-56-3210



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