シュシュサロンゲストデー 2022.1.21 第9回 ピグマリオン 恵美子さん

ピグマリオン恵美子さん第9回目のシュシュサロンのインタビューゲストはピグマリオン恵美子さんです。ピグマリオンさんは第一子出産を機に、杉並区桃井に親子サークル「オギクボカフェ」を立ち上げ、そこから派生した英語学校「オギクボカフェEngrish School」の校長、そして、さらに発展させた事業である、「一般社団法人Global Kids’ Mom」の代表理事を務められる方です。将来の社会を見据え、最新の子育てを取り入れたグローバル教育事業を展開するピグマリオンさんの生い立ちから現事業の運営に至るまで、そして、ご自身の子育てについて、幅広くお聞きしていきます。


ーみなさん、本日のゲスト「ピグマリオン恵美子」さんのお名前や肩書をお聞きして、外国の方だろうか、英語でお話を進められるのだろうか、と思っている方もいらっしゃるかもしれませんね。ピグマリオンという言葉自体は、「ピグマリオン効果」という教育心理学の用語として広く知られた言葉ではありますが、本名なのでしょうか?どんな方だろうと興味が湧きますね。簡単に自己紹介をしていただけますか?
みなさまこんにちは。私は荻窪に20年近く住んでおりますが、2009年に長女を出産したことをきっかけに、親子で様々なイベントを楽しめるサークル「オギクボカフェ」という事業を立ち上げました。そこから現在に至るまで、子育てにまつわる事業や企画を広げて、その代表を務めております。今、3人の小学生の子どもを育てる母でもあり、事業者としてもたくさんの子ども達に関わる日々ですが、妊娠・出産する以前の私は、子どもに興味があったわけではありませんでした。一生子どもを産まないかもしれないと思っていたくらいで、今とは違う仕事を経験してきました。

ー以前は子どもに興味がなかったというのは驚きです。子育てや子どもの教育関連の仕事にずっと携わってこられたのかと思っていました。ピグマリオン恵美子さん
そうですよね。この後、昔の話もするかと思いますが、まず、今の事業を始めたころのお話をします。長女が産まれたばかりの頃、私は、親子で家庭の中だけに閉じこもって子育てをする、というのは嫌だな、と思ったんです。できれば、たくさんの人に私の子どもに関わってもらって、一緒に育ててもらいたいなと思いました。それまでの私は、別の経験をいろいろと重ねてきて、様々な職業の人にたくさん出会ってきたので、自然とそういう思いがありました。それで、うちの子だけでなく、他の家の子もみんなで一緒に育てる、という思いで、長女がまだ首も座らない生後2ヶ月のころ、区役所に子育て応援券の事業者申請をしに行って、子育て団体サークルの「オギクボカフェ」を立ち上げたんです。出産時に思い描いたように、いろいろな人に参加していただいて、一緒に子育てを楽しみながら運営していましたが、だんだんと、これからは、子どもには英語教育は欠かせないだろうと思い始めて、次に「オギクボカフェEngrish School」を立ち上げました。そうして英語教育の場を作りましたが、今度は、ただ英語を勉強させているだけでは将来世界で活躍できるような人材には育たないのではないか、と思い始めて、じゃあ、どんな人間に育てればいいのだろう、と考えました。今、不確定で不確実で、来年という近い未来ですらどうなっているのか簡単に想像できない時代、と言われていますよね。そんな目まぐるしく変化する時代に対応していける力を、子ども達に身につけさせたいと思い、将来世界に飛び立って活躍できる子を育てよう、という思いで2020年に「Global Kids’ Mom」という社団法人を設立しました。その設立のタイミングで、仕事上の名前として「ピグマリオン恵美子」と名乗りはじめました。外国人の名前のようですが、私自身は英語は話せないし、外国人でも国際結婚しているわけでもありません。この「ピグマリオン」という名前は、先ほどお話ししていただいた通り、「ピグマリオン効果」という教育心理学で使われる言葉です。もともとはギリシャ神話に登場する、ピュグマリオンという王様が、女性の彫像を作って、深く愛して世話をするようになって、人間になればと願っていたら、その思いに応えて、神様が彫像を人間にした、という伝説に由来する言葉です。そこから転じて、人を信じて期待をすると、期待を受けた人が学習や作業で効果を発揮することができる、という教育心理学で使われる言葉になりました。私は子育てでいちばん大事なのは「子どもを信じること」だと思っています。子どもを信じていれば、できる・伸びる、ということを伝える目的もあって、仕事上の名前として名乗らせていただくことにしました。

ー確かに、子どもを信じてあげることは、難しいときもあるけれど、とても大事ですよね。「ピグマリオン」と名乗られている理由がわかりました。
「ピグマリオン」と名乗りはじめたきっかけは実はもう一つあるんです。数年前、English Schoolを一緒にやっていた仲間で、乳がんで若くして亡くなってしまった女性がいました。彼女は、私がグローバル教育を始めたことにすごく共感してくださって、お子さんも教室に通わせてくださいました。そんな彼女が亡くなられた次の日、ご主人から連絡をいただいたんです。「妻が、『私が死んでも、絶対このグローバル教育を子ども達に続けさせてほしい、単なる英語教育ではなくて、これからの人材になるための教育だから、これだけは絶対続けて欲しい』と言い残したらしいんです。」と言われました。私は、それを聞いて、もしも自分が彼女の立場だったら、幼い子ども達を残して死にゆく立場だったら、誰に子ども達の教育を預けられるのだろう、とそういう思いに駆られました。今、安心して預けられる人はいない、だったら、グローバル教育は私自身がやっていかなければならない、そういう使命なのだ、と思ったんです。親しい人を亡くした悲しい話ではありますが、そんなきっかけがあって、私自身に新たに「ピグマリオン」という仕事名を冠して、心機一転、「一般社団法人Global Kids’ Mom」を立ち上げました。いつか私がこの世から去っても、教育としてのスキームやメソッドを残していける組織にしたんです。

ー「ピグマリオン」という名前に込められた強い思いがあるのですね。現在はそんな強い信念で事業をされているピグマリオンさんですが、子ども時代はどのように育ったのでしょうか。振り返っていただけますか?
私は静岡県の田舎で生まれ育ちました。自分で言うのもなんですが、小学生のころは、”文部省推薦児童”なんて揶揄されたりして、勉強もオール5、テストをやれば全部100点というような児童でした。学校で活躍して、リレーや陸上や水泳の大会にも出て、先生や親の言うことをきっちり聞いて、ちゃんとやるタイプだったんです。今となっては、それだけではだめだ、とわかりましたが…。中学校は国立の静岡大学附属中学校に試験を受けて入学しました。東京では中学受験は珍しくありませんが、私が子どものころ、静岡では、受験をして国立の中学校に行くなんていうのは、医者や弁護士などの裕福な家庭の子どもがすることでした。私はごく普通のサラリーマン家庭に育って進学したので、そのころから、親が子どもの教育にお金をかけると学力がつく、いわゆる「教育格差」というのを肌で感じていました。

ピグマリオン恵美子さんー勉強もスポーツも万能とはすごいですね。学校や家庭でも「勉強しなさい」と言われる教育方針だったのでしょうか?
いえ、そんなふうに言われることはありませんでした。昔は、私だけでなく、親や学校が子どもに勉強勉強とうるさく言うことはあまりなかったように思いますし、住んでいた田舎には塾も少なくて、私は大学受験まで勉強を一生懸命した記憶があまりないんですよ。それに、大学附属中だったからか、学校の授業は面白くて、たいていのことは授業で理解できました。うちの子どもも現在、都内の国立大学附属小学校に通っていますが、国立大学の附属の学校は、教育の実験校でもあります。同じ学年でもクラスによって授業が異なっていて、一番評価が伸びるのはどういう授業なのか、いわば教育実験をして研究につなげているので、授業が工夫されていて、面白いと言えるかもしれません。

ー学校の授業に興味が持てて、勉強がつらいとかやらされている感覚もなく、成績優秀だったんですね。その後はどのような進路を選択されたのでしょうか?
県立高校へ進学しましたが、私はとにかく田舎から出たくてたまりませんでした。生まれ育ったところは人口が5万人くらいの小さな市で、街にはスーパーがひとつ、ドラッグストアもひとつ、映画館もひとつ、というようなところでした。東京は荻窪だけを見ても、ドラッグストアもスーパーもいくつもあるじゃないですか。東京ってすごいところだな、東京に行って一人暮らししたいな、と憧れていました。一方で、田舎に住んでいると、土地の開発や街づくりを目にすることがよくあって、興味を持っていました。街の設計ひとつで駅前にお客さんが集まったり、発展したりするんですよね。社会をより良くする仕事だなと思って、都市計画を学べる東京の大学へ進学して、念願の一人暮らしを叶えました。

ー憧れの東京に出てきて、大学生活はいかがでしたか?サークル活動などはされていたんですか?
大学時代はあまり勉強していませんでした。良く言えば、”青春を謳歌した”と言うべきか…、田舎から出てきて、何でも体験してみたいと思って、六本木のクラブに行ったりして楽しんでいました(笑)。勉強…というよりは、社会勉強ですかね。それまで自分のカテゴリにはいなかったいろいろな方と出会いましたが、そのときに知り合った方とは未だにお付き合いがあります。帰る家が無いような方から、ベンチャー企業の社長まで、夜の街で一緒にお酒を飲んだりしましたね。今思えばそういう経験は貴重でした。

ーすごく社交的ですね。楽しい大学生活の後、就職されたのでしょうか?
はい。大学で土木を学んだ後、建設コンサルタントの会社に入社して、橋梁設計の仕事に携わりました。私は静岡県出身ということで、静岡の橋を任されて、200メートルくらいの大きな橋の設計に関わらせてもらいました。

ピグマリオン恵美子さんー故郷に架かる橋を手掛けられたのですね。でも、女性が土木建設の世界でやっていくというのは大変だったのではないでしょうか。
そうですね、もう20年以上前の話なので今とは異なっているかもしれませんが、当時、会社に所属する技術者は、私を含めて200人ほどいましたが、そのうち女性は5人だけでした。それでも男性一色の世界から、徐々に女性が増えていった時代だったかと思います。社内に女性用トイレが少なかったり、更衣室がなかったりして、男性達も、女性とどう仕事を進めていけばよいのだろうか、という迷いが感じられました。土木の仕事はインフラが未整備の地を開発していくのも仕事なので、水道も敷設されていない海外に派遣されることもあるんですよ。男性社員はそういうところで何日も仕事をすることがありましたが、女性には過酷すぎると思われていたのか、当時、女性は海外での開発事業へ行かされることは滅多にありませんでした。日本国内でも、地元の古くからの言い伝えや信仰で、女性が入ることを禁じている山やトンネルがあったりして、設計の仕事で現地に行っても、女性は中に入らせてくれなくて、男性が撮影した写真を見せてもらってそれを設計に活かす、なんていう仕事の進め方をしなければならないこともありました。土木の世界で女性が本格的に活躍する黎明期だったのかもしれません。

ー今となっては”土木女子”という言葉も出てくるほど、女性も活躍する世界になりましたね。建設の会社にはどのくらい勤めていたのですか?
入社して3年目くらいで結婚を機に退職しました。土木建設は、夜中に橋梁や道路の工事をすることが多いので、昼夜逆転したり、何日も徹夜したりして、やはり身体的にきついものがありました。会社で昇進するには海外勤務の経験も積まなければならなくて、穏やかな家庭生活を送るには難しい職業で、夫にも続けることを反対されました。そのころは若かったので、それに従って辞めてしまいました。

ーそうでしたか。きつい仕事を辞めて、穏やかな家庭生活を送る…というのはいかがでしたか?
夫は先代から続く会社を荻窪で経営していて、結婚当初はリーマン・ショック前ということもあってか、比較的裕福な生活を送っていました。仕事を辞めて自由に過ごしていいよ、と言われて、子どももいなかったので、美術の学校に行ったり、習い事をしたりしました。いわゆる、”荻窪マダム”的な華やかな生活というのでしょうか…。いろいろなところへ出向いたおかげで、また様々な人と出会うことになりました。有名な料理教室に行くと、親子3代全員、小学校から大学まで私立の学校で過ごされた裕福なご家庭の方や、芸能タレントさんなど、今まで出会ったことのないタイプの人々と知り合えました。子育ての話もよく聞くことがあって、小学校から子どもをスイスに留学させたり、海外名門大学進学を見据えて幼い頃から準備をしていたり、当時の私の想像を超えた子育ての話を教えていただくこともありました。私はとにかく暇だったので、個展を開いたり、イラストレーターの仕事をしてみたりする中で、知り合ったクリエイターの仲間とハンドメイドアクセサリーやアート作品を販売するウェブサイトを立ち上げて、通信販売を始めました。その後、時流だった新しいウェブのかたちを取り込んだ、ホームページ制作やウェブコンサルタントの会社を創りました。

ー暇だったから、という理由でいろいろと始めて会社まで創ってしまうのがすごいですね。
いろいろとやりましたが、正直なことを言えば、仕事でつながることで得られる待遇や人脈が広がること自体が嬉しくてやっていたところもあります。例えば、レストランのホームページを制作すれば、そのレストランの食事でいろいろとサービスしてもらえたり、クラブのホームページを作れば、VIP待遇をしてもらったりと、いいことがたくさんありました。芸能タレントさんのホームページを作ったこともありますが、特別に安く作ってあげたり、突然の変更リクエストでも対応したりして、他の会社では引き受けてもらえないような融通を利かせることで気に入っていただき、私自身の人間関係もさらに広がっていきました。

ー時代を読んで、活発に事業を展開されていたんですね。まだそのころもお子様は産まれていなかったのでしょうか?
はい。当時はまだ20代から30代初めのころで、好きな仕事に取り組む毎日でした。夫は結婚当初、子どもを望んでいなくて、私自身も特に子どもに興味があるわけではありませんでした。それにそのころは仕事や生活で忙しくしていたせいか、体の調子があまり良くなかったので、一生子どもを産まない人生なのかな、と思っていました。でも、あるとき、体質改善をしようとピラティスを始めて…インストラクターの資格まで取ってしまうほど真剣に取り組んで、健康に注意する生活を送るようになったら、みるみる体調が良くなってきて急に子どもを産みたくなったんですよ。そうして体質が整い、第一子を34歳で授かることができました。そのころ、会社は社員を抱えていましたが、妊娠を機に縮小させて、出産後、私は新しい子育て事業を始めることにシフトしました。その後、2学年差で次々と子どもを産みました。

ピグマリオン恵美子さんー第一子の産後2ヶ月で今度は杉並区の子育て応援券の事業者になるんですものね。子どもを産むことで、新たなステージに気がついたのでしょうか?
出産したときに、それまでいろいろなところへ出向いて、人間関係を築いてきたのは、全部この子のためだったのかな?この子を育てるために活かせるんじゃないかな?という思いが湧き上がったんです。最初の子だからなおのこと強く思ったのかもしれません。

ーそれまで子育てや教育とは関係ないお仕事で培った経験でも、子育てに活かせるとお思いになったのですね。それは具体的にどのようなことなのでしょうか?
まず、これからの時代はコンピテンス(社会的能力)が大事だと言われていますよね。チームで何かを成し遂げるということが大事だと言われていますが、やっぱり家庭の中だけで育てるのは良くないな、いろんな人に子育てに関わってもらいたいな、と思いました。それで、学生時代の六本木や、荻窪マダム時代に広げた人脈があったので、子育て団体サークルをつくって手伝っていただき、みんなでみんなの子どもを一緒に育てる、という子育てのスタイルを考えました。それが「オギクボカフェ」です。初めのころは、あんさんぶる荻窪(現 荻窪税務署)という区の児童館で部屋を借りて、イベントを開きました。いろいろとやりましたよ。食育やアート、親子で遊ぶゲームや公園遊びのイベントも行いました。そして英語やフランス語の親子教室も開いたんです。長女の年齢に合わせてはじめたので、初めは0-1歳児を集めて、そのうち参加者の年齢が上がったり、増えていったりして、年齢でクラス分けをして、今では学年別に10クラスあります。いずれにせよ、育児をしていればいずれ経験するようなことから始めたんです。そうして、オギクボカフェの創設から12年ほど経ちまして、その間、たくさんの親子に参加していただいて、運営を手伝ってくださるメンバーにも恵まれて、もう私がいなくてもうまく回っています。

ーみんなで一緒に子育てをする、とは言いつつも、その仕組みづくりや準備など、乳幼児を抱えて代表として進めていくのは大変だったのではないでしょうか?お子さんはやはり保育園に預けられたのですか?
はい、長女は0歳から保育園に入園させました。4月生まれで、オギクボカフェのサークル内でも仕切るタイプで、小さい頃から自分の意見をはっきり言う子でしたが、もうすぐ3歳というころ、「私は保育園が合わないから辞めます」って娘が言ったんです。何日か登園拒否をしましたが、私は数日経てば気が変わると思って、ある日、「行けばきっと楽しいよ」と、だましだまし保育園に連れて行きました。でも、娘は保育園に着くやいなや先生に向かって「お世話になりました!」って言ったんです。私はそれを聞いてびっくりしました。彼女は固い意志をはっきりと示したので、もうこちらの思う通りにはさせられないな、もう保育園には通わせられないな、と思いました。それで、保育園は辞めて、どこか娘に合う幼稚園や子ども園はないかと、区内10か所ほどの施設を親子で見学しに行きました。その中で、木登りや泥んこ遊びを積極的にやらせてくれる幼稚園があって、娘はそこを気に入りました。子ども時代は読み書きをやらせるよりも、非認知能力(点数や指標などで測定できない能力)を伸ばす経験をさせると良い、といいますよね。めいっぱい外遊びをするのは、非認知能力を伸ばすことにつながるので、そこに入園を決めました。娘が楽しく通える幼稚園が見つかったのは良かったのですが、一方で私が仕事をするには難しい状況になりました。税理士さんや母にその状況を相談したら、今は仕事より子育てを優先する時期でしょ、と口を揃えて言われてしまいました。

ー3歳前にそれだけ意思をはっきりと伝えられるのはすごいですね。では、3人のお子さんが小学校に上がるまでは、仕事よりも子育て中心の生活だったのでしょうか。
はい、オギクボカフェはスタッフにも助けられて、子どもと共にやっていけましたが、出産以前からやっていた会社は最低限の納税をして、形だけ存続させて、実質事業はやっていませんでした。それにうちは3人とも小学校受験をしたので、正直、仕事どころではなくて、受験準備に翻弄されている時期が続きました。

ピグマリオンさんの事業での親子の様子

ピグマリオンさんの事業での親子の様子

ー3人のお子さんが立て続けに小学校受験に挑まれるとは、塾やお稽古に付き添うだけでも大変ですよね。
それまで子育ては私に任せきりで、口を出すこともなかった夫も「受験をするならトップを目指せ!」なんて言い出したりして。正直トップと言われる学校に入るためにはコネクションも必要なので、我が家にとっては簡単なことではないのですが、毎日幼児教室や体操教室等に連れて行って、家でも学習していました。幸いにも3人とも私立と国立の小学校にそれぞれ入学できました。

ーそれは確かに仕事どころではない、というか、受験に親子で立ち向かうこと自体が仕事、と言えるくらいの状況ですよね。無事に3番目のお子さんが小学校に上がられた2019年頃から心機一転、再度本格的に仕事に向かわれたのでしょうか?
はい。オギクボカフェやEnglish Schoolは私が直接関わらなくても、先生やスタッフに何年も任せていたので、安心していましたが、私自身はその経験と実績をもとに、そして先述した友人の死をきっかけに、「一般社団法人Global Kids’ Mom」を立ち上げました。

ーそちらでは「グローバルキッズを育てる」と謳っていらっしゃいますよね。具体的にどのような事業なのでしょうか?
「AI(人工知能)」という言葉をみなさんご存知かと思いますが、人が面倒だと思ったり、我慢を強いられる仕事は、20年後にはAIやIT技術によって、取って代わられる世界になると言われています。一方で、人生100年時代と言われるように、人の平均寿命は伸びていて、現役世代として活躍して自活しなければならない年数はどんどん伸びています。仕事の数が減っていく中で、人は、自分が楽しいと思える仕事やときめくような、自分にしかできない仕事を見つけていかなければ、長い間働き続ける気力も失います。長い人生の中で、何をするのか、探究心や好奇心を持って仕事を探したり、創り出していかなければならないのです。その上、新型コロナウィルスの大流行でおわかりかと思いますが、昨今は近い将来ですらどんな世界になっているのか、予測しづらくなっています。だから、親や先生から、「ああしなさい、こうしなさい」と指示を受けてそのとおりに動く子どもを育てるのではなく、子ども自身が主体的に考え、探究心を持つように育ててあげる、ということが大事になってくるんです。私はそういう子どもを育てるための事業をやっています。よく、「自主的に行動しましょう」などと子どもに声をかけることがありますが、「自主性」というのは、例えば、夏休みに宿題が出て、それを親や先生に言われなくても自分で計画を立てて進めていける性質をいいます。でも、「主体性」というのは、それとは違って、夏休みに何をしようかな?というところから自分で考えて、それを自分で計画的に進めていける性質をいいます。これからの時代は「自主性」よりも「主体性」が求められる時代だと言われています。「探究心」と「主体性」、さらにそれをチーム力で進めて解決していくための協調性やコミュニケーション能力などを指す「コンピテンス」、この3つを育むことが、これからの時代に必要な教育だと言われています。

ピグマリオンさんの事業での子どもの熱心な姿

ピグマリオンさんの事業での子どもの熱心な姿

ー世界で活躍するには、英語に限らず、3つの能力が大切、ということでしょうか?
そうです。私は英語の学校をやっていますが、もしかしたらこれからは英語よりも中国語のほうが国際コミュニケーションを取るときの主要言語になるかもしれませんし、翻訳機能もどんどん発達していますので、外国語を理解できるかどうかよりも、探究心や主体性やコンピテンスを持つほうが大事ですよね。

ー3つの能力を養うために、家庭でもできることや気をつければ良いことはあれば教えてください。
自主性を育てたい、自立させたい、と思ってお子さんを育てているご家庭は多いと思いますが、主体性まで育てるとなると、お母さんとお子さんの関係が大事です。例えば、小さいお子さんとおままごとをするとき、向かい合わせに座って遊ぶのは、一緒に遊んでいるつもりでも、教育者としての遊び方になってしまい、指導している体制になってしまいます。そうではなくて、お母さんは子どものサポーターになるように横に座って、子どもと同じ方向を向いて遊ぶといいですね。紙があれば、裂いてみましょう、折ってみましょう、と指示をするのは指導者ですが、紙を丸めたらクシャクシャといい音がするね、と子どもと一緒に感じてあげるのがサポーターとしての親の役割です。遊びがてら、つい、言葉やら数やら、何かを教えてあげようと思いがちですが、そんなことをしなくても子どもは自分で育ちます。よちよち歩きの子に、ここは危ないわよ、と言いたくなりますが、子どもはどうすればうまく歩けるだろうかと主体的に取り組んでいるので、そこで「ここをつかまりなさい」とか「こっちは危ないよ」などと言う必要はありません。もちろん、子どもが困っていたら助けてあげてほしいですが。

ーそうやって育てられて、3つの能力を鍛えられたお子さんが参加されるのでしょうか?オギクボカフェで2022年8月に「グローバルキッズスピーチコンテスト」という英語のスピーチコンテストが行われるとお聞きしております。こちらはどのような趣旨なのでしょうか?
まず、昨年「TEDxOgikubo」というイベントを行ったことからご説明します。みなさんはTED(Technology Entertainment Design)ってご存知ですか?TEDとは、”広める価値のあるアイディア”を英語で数分間スピーチする講演会で、日本では堀江貴文さんやロケット開発事業を手掛ける植松努さんなどの著名人もスピーチしている、世界中で開催されている有名な講演会です。TEDの壇上で、自分の思いを英語で世界に届けられる子を育てることが、これからのひとつの指標かなと私は思っていて、私がオーガナイザーとして2021年9月に荻窪で「TEDxOgikubo」を開催しました。日本の大学入試も、もうテストではなくて、面談とエッセイと経験が評価される時代になってきているので、TEDでスピーチできる思考力と表現力とその経験そのものが大学進学や社会に必要になるのではないかと思っています。「TEDxOgikubo」では、大人も登壇しましたが、10代のスピーカーとして、ハイレベルな学校に通う帰国子女やインターナショナルスクールに通うお子さんたちが参加してくださいました。それは本当に素晴らしいスピーチでしたが、すでに学力や経験がハイレベルに備わっている子でなくても、一般的な小中学生に英語のスピーチにチャレンジしてもらえるようなイベントを開催したいと思って「グローバルキッズスピーチコンテスト」を2022年8月に企画しています。

ピグマリオン恵美子さんー世界的な講演会を荻窪で開いたこと自体、すごいことだと思いますし、参加された方々も豪華ですね。こういう講演会に参加するお子さんをどのように見つけてこられたんですか?
TEDxOgikuboは公募制で開催しましたが、親や先生から出なさい、出てみなさい、と声がけされたのではなくて、自分でTEDの募集を見つけて、自分でエントリーしてきた子を選ばせてもらいました。まさに主体的に行動できる子がスピーチしてくれたんです。そういう子が日本にいて、TEDxという場に出てくることに、私は感心しました。

ーそんな素晴らしいスピーチの場をオーガナイズされつつ、日常では幼い子どもたちにグローバル教育を施すピグマリオンさんですが、今の中学生や高校生といった世代に、人生のアドバイスやメッセージはありますか?
私からは中高生ではなくて、中高生の親御さんへメッセージを送らせてください。子どもは、親の言うことだけでなく、思っていることまで敏感に感じ取っています。具体的に言わなくても、押し付けているつもりがなくても、一緒に暮らしている中で、子どもは親の機嫌や嗜好を感じて、それに合わせて行動しようと、無理をしたり、選択肢を狭めたりすることがあります。だから、親としてつい思ってしまう、「あんな事してほしくない」とか「この友達とは付き合わないでほしい」とかそういうことを言わないだけでなく、思わないようにもして欲しいのです。子どもは、親が思ってもみない突拍子もないことを言い出すこともあります。もう学校に行きたくないとか、プロゲーマーになるんだ、とか…。いろいろと子どもから言われたことにすぐ反応してしまいそうですが、まずはご自身の思いは心に収めて、お子さんを信じてあげてください。そのくらいの覚悟で子育てをしないと、知らぬ間に親が子どもをコントロールして、子どもが自分自身で選択ができなくなって、息詰まっていきます。レベルの高い学校に進学できたとしても、不登校や引きこもりになるだけでなく、生きることすら危うくなる子どももいます。だから、子どもを信じて、子ども自身に任せてあげる、というスタンスでいてほしいです。

ー「ピグマリオン」というお名前の由来である「信じること」にお話がつながりますね。では最後に、ピグマリオン恵美子さんにとって、人生の宝物を教えてください。
やっぱりそれは子ども達、ですね。

ー本日は貴重なお話をありがとうございました。


 

【ピグマリオン恵美子さんのおすすめの教育ドキュメンタリー映画】

『Most Likely to Succeed』

アメリカのカリフォルニア州にある High Tech High というチャータースクール*に通う高校生の成長を追いかけるドキュメンタリー映画。日本と同様な受験偏重型教育と、生きる力を身につける実践的な教育のバランスをどう考えるかなど、教育を取り囲む様々な視点について考えさせられる作品。
http://www.futureedu.tokyo/most-likely-to-succeed
【参照】
*チャータースクール:https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/gijiroku/020802j.htm

(ピグマリオンさん)
オギクボカフェでも上映会を行いましたが、私自身は2018年にまだ小さい子ども達3人を連れて、表参道まで観に行ったのがこの映画との最初の出会いです。映画に登場するアメリカの高校は、時間割も、決まったカリキュラムもなくて、自分で考えて自分で学んで自分で成果を出しなさい、という学校なんです。「教育」というと、生徒は先生から教えられなければならないと思うじゃないですか。映画に登場する高校生の親も、こんなことをしていて大学へ行けるのか?と半信半疑で質問するシーンもあります。でも、結局子ども達は、州の標準テストを受けると平均点を上回る得点をとったり、将来へのビジョンが明確になったりして、学校の大学進学率も高まります。そういう、新しい教育に挑戦する様子が描かれているドキュメンタリー映画なので、多くの方に観ていただきたい映画です。

 


 

【会場のみなさんからの英語学習についての質問】

 
ー子どもに英語を習わせて、英語を習得させたいと思っていますが、家庭の中でも英語を使って会話をするほうが良いのでしょうか?
グローバルな子に育てたいなら、家庭環境をグローバルにしてください。親が英語を話せないのに、子どもが話せるようにはなりません。具体的に言えば、お母さんは英語の歌を鼻歌で歌えるくらいにはなってほしいですね。家庭にどんどんグローバルを持ち込んでください。ニュースや映画を英語で見るのも良いですね。そして、子どもと英語の歌を一緒に歌ったり、本を読んだり、ビデオを見たり、そのくらいのことができるレベルにはなってほしいですね。

ピグマリオン恵美子さんー自動翻訳機が発達してきているので、子どもが大きくなる将来は今ほど英語が話せることが重要視される時代ではなくなるのでは、という思いがあります。中国が国際的に台頭してきて、もしかしたら、将来は英語より中国語のほうが必要とされるのかもしれない、と思うと、時間や労力をかけて英語を学ぶ意味を考えてしまいます。
私は英語を学ぶことはものすごく重要だと思っています。具体的に言えば、8歳までに英検4級レベル、小学校卒業までに英検3級レベルの英語力を取得してほしいと考えています。だいたい8歳くらいになると自分でやりたいことがはっきりしてきます。それまで親がいろいろと支えてきたことから少し離れて、ひとりで人生を歩き始める時期になって、親の言うことをあまり聞かなくなってきます。そのときにある程度英語が習得できているかいないかで、ひとりでやりたいことにチャレンジできるかどうかの差が出てきます。例えばうちの子は、ロボットが好きで、先日YouTubeでロボットアームの作り方を検索していましたが、日本語で「ロボットアーム 作り方」などと検索しても、情報量が限られて、あまりいい情報が得られませんでした。でも、それを英語で調べると、世界各国の人が、いろんな方法でロボットアームを作っている動画がヒットして、そこから欲しい情報を得ることができました。コロナウィルスの情報もそうですよね。知りたいことを英語で検索できれば、世界の大学の研究情報に直接たどり着くことができて、英語を読み解けばこの先どのような情勢になるのかを知ることや予測することもできます。日本語で調べるのと、英語も含めて調べるのでは、50倍くらい情報量が違う、と言われています。優れた翻訳機能があったとしても、自分は何を学びたいのかを英語で表現できることが、主体的に学ぶことにつながっていくと思います。


ピグマリオン恵美子さんの事業

ピグマリオン恵美子さんの事業とブログ

■一般社団法人Global Kids’ Mom
https://gath.jp/

■オギクボカフェEnglish School
https://english.ogikubocafe.com/

■オギクボカフェ
http://www.ogikubocafe.com

■ピグマリオン恵美子さんのブログ
「発達障害の子供達とグローバル教育のこと グローバルキッズマム代表理事ピグマリオン恵美子のブログ」
https://ameblo.jp/pygmalion-emiko/



これまでのゲストのインタビュー集

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  • 大岩俊介さん

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